導入機器を使うようになるために必要なこと

夏の導入ラッシュが終わらない。このまま秋も冬も導入続きだ。もう私的には地獄が終わらない。作業量もすでにオーバーフローだし、インストラクターも全く足りない。

でも、そんな中でも伝えるべきことは絶対伝えないと、また5年後がっかりの結果が手を広げて待っている。

 

今から10数年前のある自治体の導入研修で、私が見た光景は、参加者もまばらな眠たそうな受講者が、部屋にやってきて、今回導入ではなく、もうリースアップする機器を見て、「えっ!うちにこんなのあったんだぁ」と驚く姿。そして、もう撤去を待つ機器の山の中に、まだ封さえ切られていないプロジェクター。

そんなのを見たなんて幻だったと思いたい。

 

情報担当の先生、新しい機器が導入されているのに、使っている人がほんの一握りだと嘆いていませんか?自分しか使ってないよ…とか。

一生懸命使おうよと声かけしたり、自分なりに使い方を見せたり、校内研修やってみたりしたのに、誰も使わない。なのに、何かあれば全部自分に降りかかってくる…使ったとしても片付けてくれない。壊す、なくす。もういやー!

 

なぜ使わないと思いますか?

その理由はいくつかありますが、はっきりとしています。以下のポイントを押さえれば、あなたの学校に入った機器に命を吹き込めるかもしれません。

 

★導入された機器を全て把握していますか?

何が何台あって、どこで利用できるか。

ソフトウェアやネットワーク、共有ドライブなど設定はどのように使うのか、そして、使える状態に設定が済んでいるか。

導入機器の一覧表は画像付きで作っておきましょう。5年後にリース品を返す時にもチェック表として使えますよ。

 

★貸し出し簿をつけましょう

数が足りないものは貸し出しになります。

貸し出し簿を作りましょう。

日にち、何時間目、教科、担当教諭、どの機器を何台?このくらいでもOKなので、予約票を作りましょう。この記録はみなさんの未来の宝物になります。

なぜか?それは稼働率がわかるからです。

委員会の先生にそれを話してみれば、すごく喜ぶことでしょう。

 

★導入機器は整理整頓しやすくなっていますか?

ここが大事!これをしないで勝手に使い始めても子供に渡しても、すぐに使わなくなります。

充電や、消耗品の補充はどこでするのか?

子どもがわかる片付け場所があるか?

綺麗に保つための掃除・お手入れ道具はあるか?

色分けやマークをつけて、子どもでも片付けられるしまいやすい環境を作ってみましょう。

 

★設置場所は使いやすくなっていますか?

電源を入れるだけで使えるように設置がされているか。

持ち運ぶなら、設置方法が簡潔にわかるような工夫をしているか。

何度も設定値を調整しなくてはいけないような状態になっていないか。

実物投影機なんかが、先生独り占めになってませんか?映せる範囲をばみったりしていますか?位置合わせにもぞもぞ時間がかかっていませんか?

 

★使い方を全員にレクチャーしてありますか?

先生は全員が一度は触ってその存在を知っている状態になっているか。

使い方がすぐにわかるかんたんなマニュアルが常備されているか。

「子どもたち」全員が機器の存在と、使い方の基本を知っているか。

大人も子どもも同じルールで取り扱うようにしているか。

子どもにわかる掲示物はありますか?

子どもたちに新しい機器の操作を教えましたか?その前に子どもたちはパソコンの起動、マウスの操作、キーボード、シャットダウンを知っていますか?

 

★破損、紛失の時の対策や、対応手順は決まっているか。

困った時にどこに尋ねるか、どこに連絡するか、校内で大人も子どももわかるように周知しているか

破損などの時に保険を使うための手順を大人が把握しているか。

何が消耗品で、何が交換になるかわかっているか。

 

★軽微な障害を解消する方法を知っていますか?

学校のパソコンは基本的に復元が入っているものが多い。

ネットワーク障害が、あらゆるソフトウェアに影響を及ぼす可能性がある。

サーバーの残り容量が少ないとさまざまなトラブルになる。

湿気、汚れが障害の元になる。

 

保管庫にしまわれた機器が最初は結構人気があったのに、最近すっかり使ってない。

この原因のほとんどが、

「汚い」「整頓されていない」「壊れている」

この三つに起因します。

 

同じことがサーバーにも言えます。

皆さんの学校の共有フォルダは綺麗ですか?

何でもかんでも保存保存。何かあって消えたら絶対許さない!!!

サーバーはどう管理しましょうか。

その方法は次のブログに書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはscratchを使った「教材」?「教科」?「プログラミング」?

【プログラミングを授業に取り入れる?】

プログラミング環境を、先生が「教具」を作るために日常的に使うのもICT支援員さんは止めたりはしない。いや、止めたりはできないと言った方がいい。むしろそれを作るお手伝いをしている人は多いだろう。

『教材作成支援』も立派な授業支援だからだ。

先生がやりたいことを叶えるためにICT支援員は知恵を絞る。

 

Flashなどでドリルや教材をゴリゴリ作っておられた方からすると、ご自分で「開発」した教材を使って授業がしたいと考えるのだろう。しかしそれがscratchだったりすると、ややこしくなる。先生の作り込んだ「教材」を使うことが「プログラミング教育」なのか?

それともその先生は、ちょうど使い勝手が良かったからscratchで作っただけで、これは子供がプログラミングをしてはいないと認識した上でやっておられるのかは不明だ。

 

こどもにその「教材」ではなく、ツールごと手渡して、こども自身が学ぶための自分にあった教材を自分で考えるのは難しいのだろうか?

確かに時間があまりないのはわかっている。でも、これが起きているのは、そういう苦肉の策とは別な気がするのだ。

 

現場の支援員さんはこのような相談を受けた時に、それがプログラミング教育だと思ってしまうことがある。ましてや「文科省から出てる事例」というお墨付きがあると、その事例は、「プログラミング的思考」なのか、そうではないのか、はたまた、教科に関連づいてはいない、単なる「プログラミング」なのか、判断する前に安心だと思ってしまう気がする。

 

ある報告があり、その先生がやりたいのは、scratchである以外は正直子供が何かプログラミング的に、コンピューティング的に、試行錯誤するものではないと個人的に感じた。

これは先生がお造りになったパズルゲーム…という感じだった。

何より準備する側が結構手間がかかる。そして、一番困るのが、まだご相談段階なのに、もう広める気満々で企画していることなのだ。「これを学校、もしくは自治体のスタンダードにしよう」という先生の思いが見える。何だろうこのもやもやする気持ち。でもまだ「こども自身が思考する」ということを意識していない初心者の支援員さんは、その教材を作る楽しさにワクワクしてしまう。そもそも授業に関して我々は何も権限はない。単に先生が作りたい教材の作成支援だと割り切っているなら仕方ないのだが、それが「プログラミング教育」だと思い込んで、支援員さんまで広めにかかってしまう。しかもこれが「授業に落とし込んだ」と認識して、自分はプログラミングを授業に落とし込める!と自信を持ってしまう。

 

先生や支援員さんがゴリゴリ組んだすごいプラグラムが子供にどんな影響を与えるのか?

scratchは何にでもなれるから楽しいので、その楽しみを子どもから奪ってしまうものではいけないのではないか。

そこに子どもはいるか?(物理的にではなく)大人だけで集まって延々と趣味のサークルみたいになってないか?

「すごいプログラム」は、本当にすごいプログラムとして子供に認識されているのか?それはAIも組み込まれた最高なグラフィックのゲームを日常的に目にしてプレイしている、こどもの何を変えているのか。

先生の「教えやすさ」が子どもの思考力判断力表現力を押さえつけてしまっていないか?

 

先生が作り込んだプログラムにカスタマイズや改修を加えて良いというなら少しは違うだろうか…

ICT支援員であるために必要な条件

ICT支援員をやっている人はずいぶん増えてきたらしい。
3000人くらいにはなったのかな?(のべだろうけれど)しかし、時々耳にするのは「うちの支援員使えない」かと思えば「絶対手放せない」の二極化だ。
じゃあ3000人のうち何人は手放せないのかなと思った。
 
ではICT支援員さんの仕事って実は何が一番手放せなくなるものなのか?
授業を支援する・校務を支援する…って絶対的に「黒子」に徹する必要があると思っている。先生の真似事をしたり、先生の作業を分担するんじゃなくて、これまでの経験から言うと、ICTを使う時のアイデアを出す支援をするのが結果一番喜ばれる。特にプログラミングが出てきてからは顕著に「そのアイデアが欲しいんです」という感想をいただくことが増えてきた。でも、そのまま使える実現可能なアイデアをひねり出すにはまず先生の仕事のなかで分担してもらえる部分をやってみる必要はある。
 
先生の作業は膨大だから、自分がやってあげた方が速く、そして先生がやる必要がない部分を担うのがスタートにはうってつけだろう。まずここから自分の立ち位置を確保すると良いと思う。
それはICT自体の操作じゃなくてもいい。例えば学校で管理している機器にわかりやすいシールを貼ったり、管理簿を作ったりするところからなら、多くの人ができるだろう。
面倒くさい、やりたくないことを肩代わりすることで、その部分の担当になれる。
 
そして実際にこれまで見てきた多くの支援員さんたちの支援内容からすると、必要なスキルは少なくともOfficeを触り倒しておくことだろう。Microsoftじゃないとか、GsuiteだったりiPadMacだからiWork'sだったりしても、はっきり言って、Officeのどれかを触り倒してマスターしている人にとっては、どこのメーカーだろうが基本は同じなのだ。
 
でも基本がない人にはメーカーの違いは大きな壁になる。ICT支援員さんになるなら、まずそこはクリアしてほしい。これは経験で言うならお絵かきソフト系も同じだ。どれかを徹底的にマスターしたひとは他のが来ても触れる。支援員の仕事は果てしないようで、どれかをとことんマスターした人間においては、実はそこまで広くない。
Office系・画像加工系・動画加工系・HP作成系・授業支援系…最近は音楽作成系も出てきた。
ソフトの使い方はこのあたりで好きな使いやすいものを触り倒してほしいが、まずは何よりOffice系だ。
 
学校の先生のお仕事のうち、特に「授業」と「生徒指導」に関しては圧倒的に先生の方が経験や知識があるのだから、そこと同じことをやろうとしても、そしてもしできたとしても「ICT支援員」でいる必要性がなく、先生代理になってしまう。それをやりたいなら、先生は不足している。いっそ先生になればいい。でも「ICT支援員さん」として雇われたなら、そうじゃなく、我々の方にアドバンテージがある部分であるはずの「ICTの活用」で、手伝いをしながらアイデアをひねり出していく。そのアイデアを個々の先生に合わせて提供するうちに広がって、先生方の本当にほしい形にアレンジされながら、スタンダードができていくのが理想だ。
 
ただ、そこに至るもっと前段階の話をするなら、配備の際に方針がはっきりしていないとこれは支援員さんにとってものすごく高いハードルになる。
方針もなく、でも数や環境が整っていないICTは、「晩御飯何がいい?」「なんでもいい~」と言われた時のあの絶望感に似ている。委員会の皆様、学校で支援員さん含めICT機器を配備する方々には、少なくともこれらの機械が全部稼働したときにどういう運用になるかがわかる人に相談をしてほしい。そういう組織とサービスがちゃんとあればいいのになと思う次第だ。

できるようになりたい人へ

何かをできるようになりたい。そう口にする人はとても多い。

ICT研修会やアドバイザーをやっていて、「私もパソコンできるようになりたい」「どこで勉強したんですか?」とよく聞かれる。

わざわざ勉強したかというと、どこで、でもなく、手当たり次第やっていた気がする。スクールに行ったことはない。でも仕事にしている。

それにきっと私のICTスキルなぞ穴だらけだ。私の知らないことを知っている人は山ほどいる。でも「できる」と言える。自己紹介で「パソコンを学校の先生方やこどもたちに教えています」と胸を張って言える。

 

ICTに限らず、自分は何ができるか?と聞かれたらたくさんできることがあるはずだ。でもみんな「できません」と言う。

 

たとえば私。

歩けます。走れます。跳べます。

 

料理ができます。洗濯ができます。裁縫ができます。掃除ができます。子供の世話ができます。赤ちゃんのお守りもできます。

 

絵が描けます。デザインができます。ピアノが弾けます。バイオリンが弾けます。歌が歌えます。バスケットボールができます。ダンスができます。スキーができます。

 

パソコンができます。英語ができます。

 

働くことができます。

自分の力で生活できます。家族を十分養える程度に稼げます。

 

これらすべて「できる」と言える。

でも、もう体力ないから、「歩けます」が、富士山には登れるかどうかわかりません。

「走れます」が、フルマラソン走れるかはわかりません。でもトレーニングしたらできるかもしれない。

 

自分が「できる」ことはたくさんあるはず。

でもみんな「できない」と言う。

なぜ「できない」なのか?

じゃあ私ができないことは何か?

 

水泳ができません…いや、できませんじゃないな。「苦手です」だ。

だって少しは泳げる。でも好きじゃない。

そして水泳は「できるようになりたい」と思っていない。

水泳は、「できると言ったらプールに誘われたり、海に連れていかれたら嫌だ」と思っているし、その前に水着を着たくない。海水のべたべたもいや。水に浸かってると体力消耗するからダイエットにはいいだろうけど、メリットデメリット比べたらやっぱりいやだ。そしてさらに水が怖い。だから結論「私泳げません」になる。

 

それに対してたとえば、「できる」と豪語したパソコンはどうか?英語はどうか?デザインはどうか?というと、できるようになりたいと思ってるし、できないと困る状況にある。もっとできるようになるための欲がある。

電源入れて、ワープロで短い手紙がかけるだけで、「パソコンできます」といっていい。でももっとできると良いことがあるからできるようになりたいのだ。

 

必死にならなきゃできるようにはならない。座学を受けても、イベントに出ても、何かを買っても。誰と繋がっても、だ。

何かができるようになる瞬間は、頭がかーっと熱くなって、「いま脳みそがモーレツに回転してる!」と感じる。(これは頭がもう古いからオーバーヒートしているのかもしれないけど)

 

その状況に自分が置かれるためには、「自分はできる!」と言葉に出すのはかなり効果的。「英語?できますよ」と言ったからメールの和訳をやたらと頼まれ、まさかの通訳にされてしまった。それから半年くらいで実際に外国に連れていかれて、うまく話せなくてかっこ悪くてもやらないわけにはいかなくて、わからなかったことを調べて、口に出して、スマホを駆使して何が何でも話して、次は言えるぞ!と思っては、また違うことがわからなくて。その繰り返しで、だから今少しできるようになった。でももっとできるようになりたい!

 

「できる」がスタート。「もっとできるようになる」と考えるのが大事だと思う。謙遜は美徳だが、それは「できる」がベースにあって、「できますが、でももっとできるようになりたいです。」と言えなくては謙遜ではなく、そして成長はない。やれる環境があり、心身ともに問題がないのに、「できません」は自分にとって逃げであり、保険だ。

本当にできないこと、やりたくないことは「できません」と言うのだ。

 

私は「できます」という人と共にありたい。

私が「できます」と言う人間だからだ。

それはわがままだろうか。

 

 

 

【ICT支援員としての究極の姿】

多分今ICT支援員をメインで仕事にしている人はかなりの割合で女性だと感じます。

この業界にあまり関わりのない方からは「えっ!珍しいですね、女性なのにIT?」と言われます。男性からも女性からも言われます。相変わらず女性はITが苦手だと思われていますね。

しかし、我々が仕事をする際に絶対的に必要なのは、ITの技術をどれだけ深く知っているかなどの専門知識や、電気回路を組んだり、ソフトを開発する技術よりも、その道具を使っていかに効率よく仕事を進めるか、いかに多くの情報を短時間で意味のある形にするか、必要な情報はどこにあってどれが正しいかを見極める、つまり、デバイスやシステムの作成や操作ではなくて、まさに「情報活用能力」とそれを、先生方やこどもたちに的確に伝える「言語力」なのです。ICTの「C」の部分に着目したら、新しいものにどんどんチャレンジしていく、人とコミニュケーションを取る。

現場には助けてくれる仲間もおらず、丸一日すべての課題に一人で立ち向かいます。時には荷物を運んだり、整頓したり、管理しやすい工夫も求められます。体力と強いメンタルも求められる仕事です。

 

初めてスマホを持たせたこどもたちの傾向として、女子はSNSを頻繁に使いますが、男子はゲームやガジェットに走りがち。つまり、ICTにおいて、女性は元々情報活用のツールとしてのスマホに魅力を感じるのではないでしょうか。

だからこそ、ICT支援員に女性が多くなる傾向があります。すごいなと思う支援員さんに女性が多いと感じるのも、単なる人数の比率だけではないと思います。

もちろん、素晴らしい男性支援員さんもたくさんおられます。私の仲間にもすごい男性支援員さんが何人もいますから、職業というものは、究極までいくと、もう性別とかは関係なくなるんだろうと思います。

 

現在の日本では多くのビジネスの現場において、女性は低くみられたり、子育てで物理的なブランクが否めないので、男性の多い業界で仕事をするとき、パートタイム的な仕事に就くイメージが未だ強いです。そうでなければかなりの無理をして辛さを隠して働く女性もまだまだ多いと感じます。でも、もっと働き方って考え方を変えて、もっと柔軟なやり方があっていいと思います。

実はこの仕事は子供のいる方にはとても良い仕事です。その理由は職場が学校だから。これからの子供を育てる現場で、子供を持つ人が辛い仕事なんておかしいと思います。だから私は少なくとも支援員さんたちには、男女問わずお子さんがいるならそちらを優先してもらうようにしていますし、ご本人の健康やご家族の幸せを優先して働いて欲しいと思っています。そのために穴があいたらかつてはピンチヒッターをやってきました。本当はこんな風に支援員同士がネットワークを持ち、お互いを支え合える形を作りたい。

 

少なくともICT支援員が、本当の意味での仕事を始めたら、「要らない」とか「稼げない」とか「不安定」なんて仕事で良いわけがないと思っています。

私たちは、こう言ってはなんですが、専門職ではなく、超総合職とも言えると思います。修理屋で掃除屋、整理屋で、パソコン事務の仕事もできてしまいます。下手すれば絵も描いて音楽もできて、データベースも扱えばプログラミングもできちゃいます。なのに、気が利いてコミニュケーションスキルはピカイチ。もうはっきり言って普通に企業に雇っていただいたら、すごいと思います。なので、支援員さんを経て普通の企業に引き抜かれた人たちもいます。

でも、もしもこの仕事をずっと続けてもらえるなら、最終形態は、業界間のトランスレーターであるべき人材だと思っています。

 

最近はデバイスも修理せずに交換になってしまうことがあります。

裏蓋を開けられない仕様にしてしまって、ユーザーはさわれないようなものもあります。また、システム側も、自動修復などができるようになってきたので、もう我々は修理屋の役割をする必要がだんだん減ってきていると言えます。

また、管理がしやすいとか、手間がかからないとかそんな謳い文句のシステムも増え、支援員さんは要らないと思っている方もいます。

しかし、私たちは、現場にある事実から情報を吸い上げて、各部署に必要な情報を見分け、加工して、翻訳して伝えることと、多くの人とコミニュケーションを取ることで、必要に応じたマッチングをすることができるようになります。まさに情報のハブになれる。そのために必要なのは柔軟な思考力と冷静な判断力。そして豊かな表現力なのだと思います。

教育現場を円滑に回すために情報を効果的に扱える、そんな支援員さんがこれから各校に一人は絶対必要になる。ICT…いや、

Information 

Communication

Physical

Art

Technology

そしてCollaborationを身につけているそんな高度な職業として進化していってほしいと願っています。

学校にこの夏ICTが導入されたら必ずやるべきこと【その1 機器導入と設定編】

学校でプログラミングの研修だと、まあノートパソコン使うことが多いので、席についてやる、そういうスタイルになりがちですが、今年の夏もおそらくモーレツなラッシュになるICT機器導入研修会は、私の場合、座ってなんて絶対やらないつもりです。

 

10年前くらいまでは実はある意味一番簡単な研修だったPC導入研修会。なぜなら商品紹介だったから。やることは決まっていて、機器の使い方を簡単に紹介するだけ。今からもう15年くらい前に教わった導入研修はそういうものでした。

そこにある事実だけを伝えればいい。なので新人さんも登竜門は導入研修会というくらいの立ち位置。あんまり上手にできなくても、大勢の前で説明をする練習っていう感じでとりあえずOKだったりしました。

3時くらいからやるので、お疲れの先生方のお昼寝時間になってるようなことも、多くありました。つまらないからというより、会場に先に来て寝てる人がいたくらい、どーでもいい、やらされ感満載の研修だったのでしょう。座学でしたしね。冷房の効いた部屋に入ってくるなり、「あー涼しい〜、お姉さん、今日は何やるの?」とか逆に「忙しいから30分で終わらせて」とか、真剣に取り組めば取り組むほど、それはそれは、こんなのやる意味あるのか?という気持ちにさいなまれる研修でした。

 

でも、自分なりにやってきて、気づいたことが多くあり、ここ5年くらいは違います。ICT機器がパソコンルームから普通教室へ飛び出したことで、試行錯誤を繰り返し、ある一つのスタイルが出来上がりつつあります。

寝かせませんし座らせません。タブレットになったので、座ってなくても作業ができるのですから。それに、もうパソコン教室の使い方ではなくなったため、普通教室に持って行って使ってみる方がずっと意味のある研修になるのです。2年前に某自治体にも研修は2回ずつやらせてほしいとかお願いしたことがありました。1回目はベタな導入研修。委員会としては入れたものを知らないと言われては困ってしまうので、全てを一旦先生方にご覧にいれる必要がありました。

これも、やはり10数年前の導入研修で現場に行ったら、前の代のプロジェクターがまだなんとビニール袋に入ったまま新品で使われていなかったり、導入から4.5年経って研修に行ったら、とっくに入っていた電子黒板の存在すら知らない先生がおられたことにも端を発します。ソフトもハードも「えっ!うちにこんなのあったの?なんだぁー学校で買っちゃったよー」なんてことも。無駄無駄無駄ァー!!!

だから導入は必要なのです。まあ集まらなくても、入ったものがちゃんと周知されるようなシステムにしてほしいところです。例えば校務のパソコンから見ればいつでも資産が一目でわかるとかね。でも、そもそも興味がない。そうすると見れるけど見ない。で、同じことの繰り返しです。だからやるんです。

 

そして、2回目は活用研修。入った機器をその学校ごとにどこに設置するか、どう使うかを体験しながら考えていただくワークショップ的な研修です。備え付けならいいのですが、未だに校内で数台ずつしか配備されなくて、持ち運んで使うものが多いですから、どうやって設置するのか?どうしたら早いか?使うとどんな効果がありそうか?どこに保管するか?など様々な具体的なことを、先生がみんな揃っている場で一緒にやります。動きの速い教頭先生などは、学校独自の管理に必要なシールとか入れ物とかを買うためにささっとメモして、「これとこれはすぐ買いましょう!」と動いてくださいます。普段の動線も一番知ってるのは現場の先生なのですから、安全で保管しやすく、そして授業の時に使いやすい場所や、設置した時にどんな感じになるかは実際にやりますので、もっとこの辺がいいかな、こっち向きがいいかななんてことも一緒にやります。いつも言いますが、動かしてしまう可能性があるものは、ベストのポジションでばみって置くことを伝えます。また、設定が必要な場合、設定値をメモしておきます。決まった場所に置いて、数字でささっと指定すればいちいち微調整する必要もありません。これは備え付けになるものでも実は同じです。小学校なら各教室でその先生の使いやすい高さや角度、中学校なら、なるべく全てのお部屋が同じ環境になることが望ましいでしょう。これは、小学校が今後もしも教科担任制になればやはり中学のような形が使いやすいと思います。

これらの作業は、できるかぎりグループに分かれて、多くの先生が触れるようにします。

何度か過去にもFacebookやその他のメディアに書いていますが、一番大事なのは、できる先生を先生にしないことです。つまり各グループに配線や設定ができる先生を分散してしまうことが多いと思いますが、それはやりません。苦手チームと得意チームは分けます。苦手な人!と言って手を挙げてもらい、チームにします。こうすることで、まずさっぱりわからないという人には自分たちで相談して説明書(導入テキストに設置の仕方をわかりやすく書いておきます)を見ながら、そこでその線はなぜそこに挿すのかなども理解しながら自分の手で設置してもらいます。大人も子供も一度やった方がいい、生活にも直結する知識です。それから逃げているうちは、学校のICT化なんて実現しない。

こうして、できる限り全ての先生が、自分ごとにしていただく、そういう導入をします。

 

でもきっとこんな研修をやっているところはおそらくまだ多くないと思います。すごく手間がかかる研修です。一つの自治体だけではないので、2年前は、36校2回ずつとか、50校とかそういう単位のお仕事になりましたので、当然一人では回りきれません。この研修以外にもプログラミングなどの研修がとても多いためです。

そのため、研修講師を別途5〜6名からもっとたくさんの時もありますがこのためにアサインします。しかし、この人たちにも同じような導入説明と、活用ワークショップをやってもらうためには、また下ごしらえがモーレツに大変です。事前準備のための手順書、注意事項、話の運び方などを現地で何度も試しながら、丁寧につくります。そして出来上がったものをメンバーの前で一度やってみせて、あとはシナリオやマニュアルを渡して任せます。

 

事前の下ごしらえがないと、この研修の目的がわからなくなるので、目指すものを明確に示して、やるべきことは文書にしてあとは各自の力に委ねます。(スキルによってはかなり手取り足取りになることもありますが)

ここまでやってようやく始められるので、この夏はもう恐ろしい数の案件が待ってることがわかっていますから、なんだか怖いです。

 

でも雇ったインストラクターさんには、「ああーこのくらいならできますね」とか余裕みたいな顔で言われちゃう事も結構あるんですけどね…まあ、一般的なインストラクターはシナリオなどが決め打ちのことが多いですから、初めて会う人は、私が喋るところしかやってないと思ってます。仕方ないので、「そうですか、それは頼もしい、よろしく!」と任せますが、そういうものの言い方をする人は、自信過剰にならず慎重に、と注意をしても自分のことだと思わないので響かず、なのに、後々トラブルが起きるのがほぼ必至なので、さりげなく当日ついていったりしてます。イベントのコンパニオンと違って、トラブルシュートも自分だということが言っても理解できない場合が多いです。もう一個ずつ教えるしかないのです。

 

ちなみに、こうやってやり取りをしていると、この後トラブルになる人、よく働くのでリーダー格になるけれど、うっかり会社の方で、リーダーにしてしまうとアウトな人、逆にプレイヤーとしても良いのだけどリーダーとしてステップアップしてほしい人、技術的に高いので、同じプレーヤーとして難しい案件をお願いしたい人などは、大体この時点で見極めてます。

今のところほぼ当たってるので、見るポイントは間違って無いと思います。

 

こんな風に毎年やっていますが、本当はこの活用研修に当たる部分を先生方が自分ごととして、学校内でみんなで使うことを考えようと動いてくださればいいなぁと思うのです。

支援員さんを入れてください。面倒なシール張りや場見る仕事なら、全部やってもらえるでしょう。ICT支援員がもっと派遣され、意味のある支援をできる人が育成できるようにしたい。

本当に心から思います。

 

論理的思考は何故必要なのか?

ここの所トラブルとクレーム処理をしていて、ようやく一つ大変だった案件が収束した。トラブルシュートはもしかすると一番好きな仕事かもしれない。だって頭の中で最適解を見つけるためにものすごく考えるから。

言葉を選び、相手の出方を分析して、相手の思考を予測して、納得してもらい、怒らせないけど、それ以上求める気にならないような答えを探すのは常に論理的思考だと思う。

ところで最近よく出てくる「論理的思考」はなぜ必要か?

自分は割と子供の頃からそれを意識していたと思う。我が子たちも少し近い。

怒らない、泣かない、あわてない。大きなトラブルでもまたすぐ立ち上がる。

レジリエンスとか色んな言い方で表現される力だけど、これらの根底にあるのは論理的思考力なのではないかと思う時がある。

まだ子供が小学生くらいの頃、近所の人たちから「おたくのお嬢さんたちは姉妹が仲良く喧嘩もしなくていいわね」と言われてきた。

「お母さんも大きな声を出さないのがえらい」とも。

それは今もずっと続いていて、昔はなぜうちの子達は、私も含めて喧嘩をしないのか。泣かないのか。激昂しないのか。10年くらい前までは漠然と「そうする理由がないからなぁ」と思っていた。

一つには健康で、経済的にそこまでは困っていなくて、親戚や親もみんなごく普通だが健康で生活していた背景があって、恵まれていたのもあるとおもう。

でも子供が高校生くらいになって、その理由が見えてきた。「考え方」の違いなのではないかなと思うようになった。

私も実際人前で泣くこともなければ、喧嘩もしない。まったくもってくじけない。仕事でクレーム処理がやたらと回ってくるのもそのせいだろう。(激怒してるお客さんの対応ばかりやるのはいつだって初回はこわいから、怒らせないでほしい)

 

クレームだけでなく、働く上でジェンダー問題なんかもよくある。性別、年齢、その他差別問題なんて今もいつでも私たちの目の前にある。おばさんにICTなんてできないだろうという偏見は今もそこかしこで出会う。ろくに会話もしてないのに、頭からばかにされることもある。ちゃんと説明できても「女性なのに珍しい」とか未だに言われる仕事だ。

ちょっと若く見えれば今度はつまらんマウント取りに来る。昔を知らないだろうとか。知識がないだろうとか。

女が働くっていうのは常にそういうものとの戦いだ。男性の中でももちろんそんなのはいっぱいあるだろうから、女性がジェンダー問題ばかりに執着するのもあまり好まないけれど。

子どもが偶然全員女だったので、昔友達が色んなものをおじいちゃんにねだって買ってもらって、娘に自慢していじわるされた時、(スネ夫みたいなかんじで)「この世にある色んなものはほとんどが人間が作ってる。他の人間に作れるものが、これから大人になるあなたたちに作れないわけがない。だから欲しければ作ればいい。ましてや、我々は運良く女性に生まれたから、うまくすればなんと人間すら作れる。すごいな私たち」と言ったことがある。

 

そして、そんな外からの攻撃に負けないのは精神論でもなければ、みんなの声を集めることでもない。

変わらぬ事実とつじつまの合う論理。それが自分への信頼になり、自信になり、それでこれまでも、これからも闘い、そして勝つのだ。

子供の頃から論理的思考がもらたすものは、そういうものだと私は思っている。

差別される側にとって、論理的思考は武器でもある。恫喝や侮辱に心を揺らさないのも、論理的思考が必要。自分をコントロールするためにこの考え方はあるといっても過言ではないと思っている。怒りの感情が起きるのは、その前に別の要因があるからで、それは例えば自分の劣等感や、落ち度、体調不良や家庭不和などだったりする。それをわかった上で、自分は何故今むかっときたのか。相手はどんなつもりでそう言ってきたのか。相手をやりこめる必要はあるか。あるならどうやれば完全勝利できるか。逆に自分に落ち度があるから恥を隠した方怒ろうとしていないか。そうやって考えると怒らないで済む。やりこめるのも冷静にやれるから勝てる確率は上がる。

 

ロボットやらコンピュータを操る人になるためではなく、論理的思考っていうのは、まさに自分自身を操るためにあるんだというのが私の勝手な自論だ。だから知らないことは調べる。新しく知ったことや、間違っていたことはどんどん書き換える。思考するための材料だから、知識は必要なのだ。自分の知識が間違っているかどうかの判断も自分でする。人に言われても証拠がなければかえないし、納得する理由があれば、相手の好き嫌いにかかわらず前言は撤回する。謝る。そうしてこれからも多分生きていく。数年後この話を全部撤回することもあるかもしれないけど。