それはscratchを使った「教材」?「教科」?「プログラミング」?

【プログラミングを授業に取り入れる?】

プログラミング環境を、先生が「教具」を作るために日常的に使うのもICT支援員さんは止めたりはしない。いや、止めたりはできないと言った方がいい。むしろそれを作るお手伝いをしている人は多いだろう。

『教材作成支援』も立派な授業支援だからだ。

先生がやりたいことを叶えるためにICT支援員は知恵を絞る。

 

Flashなどでドリルや教材をゴリゴリ作っておられた方からすると、ご自分で「開発」した教材を使って授業がしたいと考えるのだろう。しかしそれがscratchだったりすると、ややこしくなる。先生の作り込んだ「教材」を使うことが「プログラミング教育」なのか?

それともその先生は、ちょうど使い勝手が良かったからscratchで作っただけで、これは子供がプログラミングをしてはいないと認識した上でやっておられるのかは不明だ。

 

こどもにその「教材」ではなく、ツールごと手渡して、こども自身が学ぶための自分にあった教材を自分で考えるのは難しいのだろうか?

確かに時間があまりないのはわかっている。でも、これが起きているのは、そういう苦肉の策とは別な気がするのだ。

 

現場の支援員さんはこのような相談を受けた時に、それがプログラミング教育だと思ってしまうことがある。ましてや「文科省から出てる事例」というお墨付きがあると、その事例は、「プログラミング的思考」なのか、そうではないのか、はたまた、教科に関連づいてはいない、単なる「プログラミング」なのか、判断する前に安心だと思ってしまう気がする。

 

ある報告があり、その先生がやりたいのは、scratchである以外は正直子供が何かプログラミング的に、コンピューティング的に、試行錯誤するものではないと個人的に感じた。

これは先生がお造りになったパズルゲーム…という感じだった。

何より準備する側が結構手間がかかる。そして、一番困るのが、まだご相談段階なのに、もう広める気満々で企画していることなのだ。「これを学校、もしくは自治体のスタンダードにしよう」という先生の思いが見える。何だろうこのもやもやする気持ち。でもまだ「こども自身が思考する」ということを意識していない初心者の支援員さんは、その教材を作る楽しさにワクワクしてしまう。そもそも授業に関して我々は何も権限はない。単に先生が作りたい教材の作成支援だと割り切っているなら仕方ないのだが、それが「プログラミング教育」だと思い込んで、支援員さんまで広めにかかってしまう。しかもこれが「授業に落とし込んだ」と認識して、自分はプログラミングを授業に落とし込める!と自信を持ってしまう。

 

先生や支援員さんがゴリゴリ組んだすごいプラグラムが子供にどんな影響を与えるのか?

scratchは何にでもなれるから楽しいので、その楽しみを子どもから奪ってしまうものではいけないのではないか。

そこに子どもはいるか?(物理的にではなく)大人だけで集まって延々と趣味のサークルみたいになってないか?

「すごいプログラム」は、本当にすごいプログラムとして子供に認識されているのか?それはAIも組み込まれた最高なグラフィックのゲームを日常的に目にしてプレイしている、こどもの何を変えているのか。

先生の「教えやすさ」が子どもの思考力判断力表現力を押さえつけてしまっていないか?

 

先生が作り込んだプログラムにカスタマイズや改修を加えて良いというなら少しは違うだろうか…