支援員のキモチ【その2】
どんな仕事も初めての人には勝手のわからないことがいっぱいだ。
それが認知度の低い仕事なら尚更だろう。
務める側もそのサービスを受けるお客様も。
「ICT支援員」この名前は文科省が私たちのような学校現場でICT機器等のサポートをする人につけられた名前だが、未だこの仕事の名前は一律ではない。
「ITサポーター」「ITアドバイザー」「情報アドバイザー」他にもあげたらきりがない。
私たちのような仕事は主に何か?名前から考えると、「パソコンを始めとする様々な機械のことを何でも相談していい人」といったイメージではないか。現に支援員として派遣された初日に毎度言われたのは、「いやー待ってました。なんでも聞いていいって伺ってます!」だ。
自宅のプリンタやネットの設定聞かれたりは日常茶飯事、自宅用に買うパソコンどこのがいい?と聞かれたりもよくした。正直電気屋さんに行って欲しい(笑)と思った。
逆にいえば、そこまでサポートできるのかわからない、スキルがないかもしれない支援員が、苦し紛れにサポートしたことが、大きな問題になったり、誤解を生んだりして、大変なご迷惑をかける可能性だってある。
雑談なのか、業務なのか。大事なのはお互いがそこをわきまえられないなら、明確に判断する術が必要だろう。
しかしながら、実は近年そういうご相談がかなり減ってきた。
支援員さんたちからそこまでの苦しみは全く聞かなくなった。もちろん地域にもよるだろうけれど、自分の管轄は、である。
それだけこの数年間で学校には多くの機器が配備されたということだとも思う。
つまり校務につかうパソコン台数が増え、つかう機会も増えたのと、自宅にパソコンがある人がほとんどになったので、パソコンによる事務作業については「通常作業」ということだ。
その証拠にこの夏、私が研修で回った自治体で簡単に質問をしてみた際、どの先生も自分で扱えるICT機器は「パソコン」だった。
だからこそ、「ICT支援員」は機械の操作説明をする人では益々なくなっている。
この仕事を長年していて感じるのは、文教向けの機器やソフトは、とにかく使い方が「わかりやすい」を優先している。いや、本当にユーザーにとって「わかりやすい」かはともかく、
●「日本語表記」
●「こどもをテーマにした可愛いデザイン」
●「ボタンを押すだけ」
のように、操作面でのとっつきづらさや、難しさを払拭するのに必死だ。
世の中の一般的なICT技術はものすごく進んで、特にゲーム業界などはデザイン性も備えていながら、幼児でも即座に操作できる。
いや、幼児だからかも知れないけれど。
初心者でも直感的に操作できるが、ユーザーが望むなら高度な設定までさわれて、だめなら不要なものを初期値に戻すなど簡単にできる。ソフトウェアはディスクを入れるだけ。もしくはネットワークでダウンロードするだけで使える。消してしまってもユーザーがわかっているから復活も簡単。
壊れたらサポート窓口に連絡すれば、交換、修理。有償の場合もあるだろうけれど、必要なら支払うし、ダメなら買い替え。
それに対して、学校のICT機器はどうだろう。
どちらかと言うと、苦手な人を意識しすぎていることはないか。これはソフトも同じ。
人間の行動としての、人間の身体の動き、そこに生活する人の動きを、一動作ではなく、流れで理解して開発しているところが本当にあるだろうか。(多少はそのつもりっぽいのもあるけど…うーん…)
ICT支援員は、今や機器の操作説明員ではない。そして修理屋でもない。だが、この二つを網羅していないと、スタートができないようなケースが多い。学校用、文教モデルなどというものは具体的にどんなことを意識して作っているのかといつも感じる。
正直一昔前に比べて、無線機器が増えたので、新しい技術は勉強も必要だが、機械の操作、ソフトの操作は、呆れるほど簡単になった。
支援員経験者であれば初めての機器でも大体当てがつく。それでも先生は「覚えられない」「使いにくい」と口癖のようにおっしゃる。
その実は、「使いたくない」「必要としていない」のではないか。
スイッチの入れ方、設置の仕方、設定の詳細まで知っていても、使ってもらえない。
どんなに簡単な機械を入れても箱から出すことすらしていないことだってあるのだ。
見てくれが可愛いとかボタンが大きいとか、そんな誘導ではない。もっと先生方が何にお困りか。機械抜きで考えてほしい。そして、学校という特殊な環境が、無理なく導入できて、長く使えなくては。
では活用が進んで、ICT機器をどの先生も当たり前のように使いたがっている学校は何が違うのか?
支援員の立場でいうなら、実は活用の進んでいる学校は支援員に相談に来る先生のアイデアで成り立っている。
運良く使い始める方がいて、その学校は活性化する。でもその先生一人に頼っていたら、いなくなったらそこで終了だ。
あんまりできの良くない素材でも、いいところを見つけて、なんとか使ってみてもらえたものは、その先生に縋るように、その先生のアイデアを盛り込んで成長して行く。
それによって、一定の地位を得た商品がその界隈でお山の大将になっているのが現状だろう。
支援員も同じだ。支援員が提案する前に、先生が使っているそれを見て、支援員は他の先生にご紹介しているケースをよく見る。
メーカーの開発に比べて、丸一日を学校で過ごす支援員は、そういった情報を日々目撃し、支援し、先生の思いを雑談も含め耳にして、持っているデータベースは段違いである。
私としては、そういった情報を蓄積して、支援員はアナログでやっている先生の授業のパーツをデジタルに置き換える想像力と、そのメリットデメリットを論理的に説明できるスキルが欲しいのだが、そこまで考えて支援員やってる人が一体どのくらいいるだろう。
私はそういうことを支援員にもっと教えて行きたい。それが今の立場では諸事情で、できていないし、それを今の支援員に要求するには、あまりに条件が悪すぎるのだ。
支援員とはその情報という宝を山ほど手に入れられる所にいる特権階級なのだ。
だからこそ、これからの学校にはICT支援員が必要で、その地位や待遇は保証されたものであってほしい。
ああ、でも支援員がすべてそんなスキルがあるかって、絶対言えないのが苦しいところだ。
それはお医者さんだって、先生だってそうなんだろうけど。やはり組織的に育成、トレーニング、そして更新が必要なんだろう。
また、こういうことに気づいたメーカーが、単なる情報収集のスパイ的に、安易に支援員を放り込むようなことをしないでほしいと願う。
先生をおだてて研究開発の時間を割かせて、誰が迷惑って子供なのだから。
ここだけは保護者として書くが、うちの子にはこの実験が正しかろうが間違っていようが、この学年は2度と来ないのだから。
先生や児童生徒、メーカー、そして社会。
この三つがみんな良い状態になれるような、そんな運用を目指したいものである。