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各校活用研修を通して支援員の仕事を確立する

私は依頼のあった学校に、そこの設備と環境と先生方がやりたいことに合わせて、研修をしています。依頼されるシーンも教科も学校によって様々なのでテキストはないことがほとんどです。少人数のときもあれば、50から100名という場合もあります。
そのかわり、ここで必ずメモをとってほしいという所はお願いして書く作業をしていただきます。
昨日は、そこの支援員さんにヒアリングをお願いしてあって、最初は研究授業でタブレットやプロジェクタを活用したい理科の先生に対応する話でしたが、話が進むにつれ、研修に参加したい先生がどんどん増えて、結局20名以上の方が出席してくださいました。
管理職も、全く触ったことがない先生方もいらっしゃる中、一時間半で、Windowsタブレットの基本操作から、最初に依頼のあった先生の研究授業の指導案に沿った、模擬授業までをやりました。もちろん、端折る部分もたくさんありましたが、とても活気のある良い研修になりました。
しかしながら一時間半の研修では操作の時間が多いので、ICT活用の必要性などについては、語り切れない部分もありましたので、運よく、帰りに校長室でお茶をご馳走になった際に、「若い人はどんどん吸収していくんだけど、あそこまでできないかなぁ」とおっしゃる校長先生には、もっと簡単な活用方法をいくつかと、校務や授業時間の効率化について短時間ですがしっかりとお話ししました。
お忙しい時間に玄関までお見送りいただけたのは、とても嬉しく、何回でも呼んでいただいてお手伝いしたいと感じました。

先生方のICTを特に意識しない指導案に、ICTを加えることで、どこがより良くなるか。

私たちは教員ではないですが、「時間」を大切に使う技、記録する技、データを活用する技など、専門的に間違いなくアドバイスできる部分があると思っています。

ただそれが支援員という仕事を、お客様も、支援員本人も理解できていない、確立していないために、存在する意義がぼんやりしてしまっていると感じています。

正直なことを言えば、確立していない、待遇もバラバラな仕事なせいで、支援員さんの品質はひどくバラバラです。

今まで何となく語り継がれてきたり、個々の人間に丸投げされてきた、アドバイスすべきポイント、その効果、提案する際のコミュニケーションの取り方も含めて、言語化して、体系化して、ちゃんとした専門職にしようと強く考えています。

 

今の学校は必要なのか

学校に行きたくないって我が子達は時々言う。
長女はすでに24歳、次女は今年社会人になる。三女は高校2年。3人もいるので、これまで何十回、何百回?そんなイヤイヤがあったことか。
でもその原因は100%友達がらみ。
そりゃそうだよ。毎日毎日同じ人と隣に座って、同じ部屋にいて。家庭ごとに文化も違うのに毎日毎日。誰かに何かされてなくたって、今日は話ししたくない、考え事したい。人間だから健康状態だって影響するし、わけもわからず落ち込んだりもする。でも毎日同じ顔と付き合わなくちゃいけない。
意地悪されてないけど、友達はこちらの都合に関係なく、ニコニコ話しかけてきたり、無闇に絡んで来るわけで、そんなのその子が悪いんじゃない。その子だって今日はなんか意地悪しちゃうこともあるだろうし、話しかけたら振り払ってしまうこともある。理由なんてわかれば苦労しない。
ということで、今朝は「学校行きたくない!クラスの子はしつこくてうっとおしい!」なんて言ってぐずぐずしてたので、車に乗せて話をしながら駅まで行って落としてきた。

「まあ、行ってきなさい。休み時間は音楽でも聞いて構われないなように寝てなさいよw」と。
今日何か良いことがありますように。明日けろりとして学校に行きますように。

こんなことがいつ起こるかもわからない。もっと深刻な時もあった。このまま学校に行かなくなったら…と思うこともあった。

学校って、クラスって、決まった座席って、本当に必要なのだろうか?

日本の不登校児は今や12万人超だって。もう不登校が珍しくもない。市民権を得そうだ。

無事卒業をしているからって、不登校の子ども達とうちの子達はどこも違わないってことを改めて認識する。

学校は必要なのか?なぜ必要なのか?

 

支援員のキモチ《その1》

支援員、その名前はとても便利。ユーザーにとって。

「支援」→「お手伝い」。しかし、ICTの意味が「パソコン」「機械」というイメージのせいか、電気が通っていれば全部…みたいな街の電気屋さんか!というような中身の相談がくる。

これを個人で本当の意味で完璧にやるのは、はっきりいって無理だ。

でもこう言うと、これを「私はやっているよ!」とおっしゃる個人支援員さんが実際に何人もいる。やっているけど、それは多くの場合大変な負担と無理難題ばかりで、身体的にも精神的にもストレスは半端ないだろう。しかもその業務内容に対して低賃金の場合が多い。

「毎日こなしている」イコール「無理じゃない」なんて決して思わないでほしいのだ。

それは雇う側も、支援員自身もだ。

まあ、とはいえ支援員全員がこんな状態なわけじゃなくて、極端に逆の場合もあるので、誤解のないようにお願いしたい。

そちらの話はまた別途。

 

さて、私のお客様でも、ヘルプデスク、保守の契約をきちんと結んでおられるところは、支援員の仕事に、物理的に時間のかかるハードの修理や、ソフトウェア・システム等の障害時に原因の究明から最後まで治す作業などは通常伴わない。

しかし今、この大変な「支援」→「ほぼ修理屋」をやってる支援員さんは、これ以外にもExcelでソフト作ったり、先生の代わりに文書作ったり、その上授業の支援、教員研修、情報モラル、校務システムのお世話…びっくりするほど文科省の言うところの「ICT支援員」とは違うマルチプレーヤーとなるのだ。

文科省の言う「ICT支援員」は周りにSE、CE、営業、ヘルプデスクなど、その他サポート体制があって初めて成り立つものだ。

だからって私のところが全て網羅してるかっていうとそんなこともない。現場っていうのはそんなに単純ではなく、いろんなケースがあるだろう。

 

支援員の話となると表に出てくるのは、「先生のお役に立てて嬉しい!」「子供達の笑顔が元気をくれます!」などという言葉が踊り、爽やかな感じの支援員さんの笑顔の写真で飾られる。確かにね、確かにそうだ。私も任務終了の日に今まで授業支援でお手伝いしてきた幼い子供達が、「今までありがとうございました!いがらしさんが教えてくれたからできました」なんて素敵なお別れのお手紙や作品をパソコンで作ってプレゼントしてくれたりして、何度となく涙した。確かに楽しい。やり甲斐はある。きっと多くの支援員さんがこれを体験しているだろう。

しかし、ここでは感情論ではなく、もう少し冷静に「ICT支援員」を本当にこれから学校に必要な仕事として見た場合の話をしたい。(続く)

コミュニケーションってなんだ【その1】

コミュニケーションに関する講座をやると、必ず受講者はいくつかに分かれる。それは、「あー知ってる」という顔をする人と目の色が変わる人。どんな講座でもまあそうだろう。
最近はちょっとヒントがあるとすぐググって予習。そして先に情報を探しておいて安堵する。そういう人は調べた時点でもう「知ってる」と思い込む。最近コミュニケーション能力は必要だ必要だとあちらこちらで言われているから、まあやむを得ない。

 

コミュニケーションスキルを磨きたい、もしくは部下にコミュニケーションスキルをつけさせたいといいつつやってくる意識高い系、そういった人は勉強熱心なので、あらかじめコミュニケーションについて、サクッとググってきたりする。そんな知ってる派の方々に多く見られるのが、とても自分は陰ながら苦労していて、周りからの理解が得られないと感じているという人。

そして、自分自身はある程度、いやかなりできていると思っている。
さらに不思議なことに、周りからの理解が得られないと感じている人の多くは経済的にも不満があるケースが多い。
貧困なわけではなく、実はそれなりに安定した職についてたり、安定した家族に扶養されてたりすることもしばしばだが、割りが合わないと感じている。

そしてとても人に気を使う。一見ほんとうに謙虚。でも実はプライドが人一倍高い。自分こそが1番正しい。不満のある自分に酔っている。

あなたはどれかに当てはまらないか?

 

もっと正直になるためには、まずは自分を知り、自分を認めることからだ。あなたは自分が思うほどかっこよくない。あなたは自分が望むほど「マイノリティ」ではない。だって人はみんな結局違う人なんだから。

誰かの作ったグループ分けに則っているだけ。
完全なるマイノリティなんてそうそうないのだ。「マイノリティ」であることを卑屈に思う一方で、「特別な存在」として「稀有な存在」として、持ち上げるのは簡単だ。
しかし多くが単に「ある要素」については少数派というだけだ。仕事もそう、どんなに一人ぼっちで戦ってる自分を妄想しても、大概自分なんて替えの利くちっぽけな存在だ。

今の自分がこの地球上で大して特別でない、ヒーローでもヒロインでもないがっかりに向き合ってから、初めて既成概念にとらわれない自分を主人公にした物語を妄想してみよう。

「知らない」ことを「知りません」と言えたら必ず今までとは違う「自分」がみつかるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「コミュニケーションスキルを上げる」

Performance Assist RAnA

五十嵐 晶子

 

 

ICT支援員をもっと活用するために

ICT支援員さんは私のみている範囲で現在30数名です。一時期40名を超えていましたが、増員されるため、その時の半分を今年度頭に、新しいリーダーに移管したので、少し少なくなりました。

楽になったかと言うと、ベテランさんを移管したので、負担は決して軽減していませんが、新しい自治体を見ることは、新しい発見があり、自分にとっては非常にモチベーションが上がります。

機器やソフトについて、支援員はどんなものにも対応しないといけません。

さらに、それは、委員会のどの部署が導入したか、学校予算で購入したか、はたまた別の予算で導入したかなど関係ありません。

お客様から見れば、どの機器も同じなのですから。

そう言う意味では、ICT支援員は、とんでもない範囲のICT機器、ソフト、システムに対応し、さらにコミュニケーション能力やインストラクションのスキルまで要求されるのです。

それでも支援員は良くて一校にひとり。

私の管轄では一人で10校以上担当する人もいます。もちろん優秀な人を入れていますから、その記憶力はすばらしく、どの学校でどんなニーズがあったか、どんな障害があったかなども支援員さんに聞くのが1番早いです。

歩くデータベースですね。

そんな支援員さんの報告書がデジタル化されていますが、そのデータは非常に貴重です。

支援内容を分析していくと、一年の中で、校務システムの支援時間が長い時期、授業支援の時間が長い時期、とても波があるのがわかります。

支援を特に必要とされる時期や内容を見ると、そこが自動化されたり安定稼働すれば、学校は随分変わるんだろうなと毎年感じます。

支援の記録をかつて徹底的に分析したことがありました。しかし、ここ2年くらいはそれをやる時間がとても取れません。分析する人がいた頃もありましたが、綺麗にグラフ化されたものを見ても、「これじゃない」感が満載で、私からその方に「こう言うデータが欲しい」と伝えることもあまりできない立ち位置だったので、生データから自分で割り出すことも多々ありました。やってくれていた方には申し訳ないのですが、学校支援を知らずに分析はできません。

また、このデータも入力してくれる支援員さんに負担が大きかったり、書き方が曖昧だったりすると正しいデータが得られません。

歩くデータベースの支援員さんから、もっと効率よく、正確なデータを取得するための報告書システムが欲しい。あれこれ見ていますが、これだ!というものにまだ辿り着けません。宝の持ち腐れにならないように、今年はデータ分析にも着手できればと思います。

200日放置してしまったので…やっとスタート

ブログやろ。

って思ったのは、facebookではどーも長文になりすぎて、書いてはやっぱりやめて、その長文をメモに貼り付けしまいこんでいたから。

しかし、昨年の自分の頭の中は日々ひどく変わっていったので、書き溜めたものを吐き出すのもなんだか恥ずかしい。

なので、新たに今日から書いてみる。

テーマは機械の話というより、コミュニケーションについて…かな。

雑感ですよ

関係ない業界の人が他の業界を見て意見を言う方が、全くもってまともだったりするのは、如何にその業界にいると思考がその世界の中だけに押し込まれていってしまうかということだ。
いつの間にかこれは無理、これは出来ないという制限にどんどん自ら縛られていってしまう。その業界の仕組みを知れば知るほど。
だから改革に燃えても、はじめにその仕組みありきで、それを変えようとするから、ほとんどの人からは、その業界の理屈にあっている改革しか受け入れられないことが多い。
特に教育業界はビジネスと相反する要素がとても多いと感じる。精神論や根性論?かな、気持ちの問題が根強くそこに蔓延っており、(ビジネスの世界も取りようによっては根性論っぽいこという人もたくさんいるんだけど)夢だの希望だの愛だのということがとても美しく描かれがちだ。
しかも報われないことが長く続くと、裏技を探し始める。そういう人はある意味良いカモだ。

そうやって世の中回ってるっちゃー回ってるんだけど。この辺の話はまた別に書いてみたい。

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