アンプラグドって一番難しい

朝からずーーっと考えてる。

前々から色々な学校やイベントで実施される「アンプラグド」と言われる活動を体験しているが、実は私の頭の中で腑に落ちていないことがいくつかあって、それは、あのアンプラグドっていう活動をやっている先生方は、何を教えたいのか?ということだ。

目的をもって実施しているイベントであっても、体験した人がその趣旨を理解して同じアクティビティを実施できているかが気になる。

改めて「アンプラグドコンピューティング」について本を読んだり調べたりそこに書いてあるものをやってみた。日本の学校現場でもすでに色んな「アンプラグド」の実践事例があるのだけど、結構人によってアレンジされていて、Appleのプログラミング研修でも、人間がロボットになってみるような実践が多い。

しかし、これはよほど的確にセッティングしないと、コンピューターの仕組みの理解には繋がらないように思うのだ。

以前(2年前くらい?)ここで私自身がつまづいて、そのアクティビティを体験した後、これってコミニュケーションのトレーニングなんじゃないの?と言ったら、ちがうと指摘されたので、ちがうのか〜じゃあなんだこれ〜?とまたモヤモヤしていた。

人がロボットになってみる「アンプラグド」だけではそもそもコンピューターの性質の一端しか理解できないように思う。

「WHY プログラミング」でも、ジェイソンに指示をだすというのをやっているが、番組はその一回ではないので、トータルで見ていく必要があるのだが、あそこだけ取り上げている人もいる。

「研修でアンプラグドをやって」と言われて、アンプラグドのアクティビティは一種類じゃないということ、コンピューターのことをしっかりわかってないとアンプラグドは、プログラミング用コンテンツの操作研修とは次元が違うので、私がやったのをアンプラグドだと思われてしまう以上、一個だけやってハイ終わりーみたいに、おいそれとはできないじゃないのと思った。

「アンプラグドプログラミング」で、何かをするための手順を的確に指示すると言うようなアクティビティは、ロボット役になる人が自ずとロボットになってしまうような仕掛けをしないと、人間なので相手の意図を感づいてしまう。例えば「白い紙に丸を書いてください」という命令は、私たちの日常から考えて、薄っぺらい楕円やすごく小さな句読点の丸みたいなものを書く確率は低い。また、書き始めると絵が出来上がっていくにつれて、出来上がりを想定できるものだと、そこに意志の力が働いてしまう。人間は良くできていると思う。でもだからこそ、うまくいかないわけで、そこに、かつて「これはコミニュケーションのトレーニングじゃないの?」という気持ちが発生したわけだ。

それから考えた結果、お絵かきの場合、途中で描きたいものがバレてしまわないような工夫は考えることができた。

で、このようなアクティビティの場合、コンピューターに対する命令は、具体的で明確でないと伝わらないよということで、最初に結果がうまくいかないことで、それに気づき、どうしたら、正しい結果を得られるのか?をもう一度考えてやりなおしてもらう。

 

お絵かきの話でいくならコンピューターのドットのお絵かきの仕組みを知るには、お絵かきロジックみたいな数字のヒントでマス目を塗りつぶすものがある。あれは、どこを塗りつぶすかが、絶対に決まるように数字が配置されている。だから数字だけみていても正しく塗りつぶせば絵が出来上がる。1000111100→1,4みたいに書いてあるが、縦横の関係性からどこがONなのかがわかるようになっている。

 

しかし、他にもアンプラグドは色々ある。

重さが表記されていない重りを、秤を一つ使って、重い順番に並べる。これは先ほどのとは少し理解できることが違うと思う。どうやっても、結果は正しくなるだろうけれど、今度はどうやれば、最も早く、もっとも手数を少なく解決できるかを探る。トランプの並べ替えも同じだ。これは効率というものについて考えることができるだろう。

片面に色のついたカードを並べて、相手がひっくり返したカードを当てるという面白いものもあった。これはパリティチェックの仕組みを知るものだ。答えが1個に絞られる仕組みになっているから、コンピューターはそれを検出できる。この場合、不思議な体験をもとに、それはなぜできるのか?をロジカルに説明するために考えるということになる。それによって、このコンピューターのエラーチェックの仕組みを理解するのだろう。

今年はアンプラグドをやる。

たくさんやるのは無理なので、さて、どうやろうかな。ここにこうやって書き出していると、また気づくことがあったりして、ほぼ忘備録のような文になってしまったが、今年の研修が終わる頃にはもう少し整理できて自分のスタイルのようなものができるのかな。