お金のことをちゃんと学ぼう

あんまり流行りの話を自分でどうこう書かないほうだけど、例の制服の話は当事者が考える話で、SNS乱暴に攻撃する必要は私にはない。でも、まあ今時は炎上しがちなネタだとは思う。この話を聞いた時一番最初に思い浮かんだのは自分自身のことだった。

自分自身の小学校が制服だったから、色々思うところはあるのでちょっと思い出話も交えて書いてみようと思った。ちなみに我が子はみんな神奈川の公立なので、小学校は私服。制服になったのは中学からで、あまり裕福な地域ではないので、学校のバザーで制服リサイクルもある。


私が通った学校は、男子は半ズボンに学生服みたいな上着で、帽子も独特の形で赤いボンボンみたいな房?がついてたから、低学年の頃は小さくて細っこい子は可愛らしかったけど、成長して5年生くらいになると、かなり大きい子は、なんか足がやたら出てる感じがして、半ズボンもピチピチ。ランドセルも小さく見えて、半世紀近く経っても、子供が魔法で大きくなったみたいなアンバランスさが、未だ私の脳裏に焼き付いている。
女の子はジャンパースカートで、帽子も形はごく一般的なポーラーハットだったが、肩のスナップを三つもとめるので、当時から色々しょうもない子供だった私は、うちでそんな訓練してないので、背中側にぺろんと垂れてしまうジャンパースカートの肩の部分が捕まえられず、犬が尻尾を追うように毎度くるくるして、笑われ、親に恥をかかせていた。
制服ネタだけでも本が書けそうなくらい思い出はある。
ランドセルが黒くて近所の子に「男のランドセル」と冷やかされたこともあった。


制服には夏服もあった。夏は白い帽子に水色のワンピースで、一番の思い出は、池袋が遠足の集合場所に良くなったのだけど、そこの蛍光灯??の光に当たると、染料のせいだろう、ワンピースが紫がかった感じに光るのが面白くてそのことばっかり気にして、ずっとそこにいたくて、遠足はどうでもよかったこと(笑)


親は子供のことを思って学校を選べるくらい、学校だらけの地域だったから、当時色々奇行が多かった私をはみだしても良いように、と受験させた親には感謝している。勧めたのは祖父だった。いい読みだったと思う。私から見ても変な子だらけ(失礼)で、いい経験になった。あそこにいたから自分の特性がよく分かったとも思う。

 

当時の保護者たちのことも実はよく覚えている。
まず親御さんの職業。それをなぜ小さかった私が覚えてるかと言うと、その子供自身が言ったり、学校帰りに母親たちが集まるレストランがあって、そこによく行っては、お母さんたちの話をそばで聞いていたからだ。お父さんの仕事や立場がひとつのステータスなのはきっと今も根強い価値観として日本にはあるだろう。

お母さんのことを私は「ママ」と呼んでいたが、「お母様」「マミー」「おかあちゃま」と呼ぶ子もいて、それもよく覚えている。

親御さんたちに言いたいのは、お家の中の様子は、どんなに外で取り繕っても、子供からダダ漏れなので、気をつけた方がいいということかな。

 

「うちのパパはお医者様だから、私も東大医学部にいくの」などと、1年生の頃から言ってる子も少なくなかった。弁護士さんの息子さん、社長令嬢、官僚のお孫さん、そういう子がかなり多かった。おそらくお金になんか困ってないちょーセレブなお家ばかりだったのだろう。うちのような、比較的普通の家庭の子供は、クラスで自衛官の娘の私と、仲良しだった区役所職員の娘さんだけだった。
レストランでの親同士の会話も、今考えたらスネ夫のお母さんがいっぱいみたいな感じだったな。面白い話がたくさん聞けた。


しかし、うちの母とその仲良しの子のお母さんは、2年生の中頃にはその集まりには行かなくなって、お互いの家でお茶したり遊ばせたりしていたように記憶している。当時は民間の方がお給料が良かった時代だから、さすがにうちはそこまで金持ちではなかったはず。

 

しかしながら、そんな中なので、制服の値段の話なんか出ない。
私の学校は当時は制服だけでなく、体操服、上履き、ランドセル、手提げのカバン(色がクラスカラーで統一されていた。)ふでばこ、鉛筆、ノートなども指定だった。一体いくらかかったんだろう。今度聞いてみよう。

 

でも、そこにいる人たちは、そこに行かせたいから来てるので、母も友達の親との会話で、そこにどうこう文句を言ってるのは聞いたことがない。そのくらい、その学校の教育や環境は魅力的だった。今振り返っても自分自身あの学校に行ってよかったことがたくさんある。

 

そんなこともあって、私的には、件の学校も、選んで入る学校であるため、入りたい人が入るのだから、どうでもいいなと最初は思った。
すでに入学してる親御さんは、サイズのせいで買い替えになったら、高くなったなぁと思ったりもするだろうけどきっとその程度だ。「アルマーニかぁ、うちの趣味だと○○のほうが良かったなあ」くらいのことを言う人はいるかも。
それに制服目当てで入ってもいないから、(県立高校なんて制服で選んじゃう子が結構いるのに)中の人は外からギャーギャー言ってる人に比べて、当然学校擁護派になるだろう。好きで買ってるんだ。自分の財布と相談して、自分が考えて選択したものを頭から否定されて嬉しいわけがない。

 

ここが実は高価なものやサービスを購入するという行動において、難しい部分だ。
それを購入する、利用する理由は人それぞれだということが一番考えるべき部分なんだけど、マスコミはよく分かってるなぁと思うのは、少なくとも今の日本は、似たようなものを安く手に入れることができるようになったせいもあり、ものやサービスに高額なお金を払う人、それを提供する人に対する風当たりが強く、それの多くは嫉妬なので、煽りやすく、炎上しやすい。

ものの価値(価格)にそもそも相場なんてない、と私個人は考えている。もちろん材料などの原価というものがあるので、最低でも仕入れ値は基準になるだろうけど。人によって、その商品がどうしても欲しいなら、高くてもお金は払うし、欲しくない人は買わない。それだけだと思っている。


これは私が絵描きだから余計に感じるのかも知れないが、私が自分の絵にいくらもらうかも、相場なんてない。「相場はいくら?」って聞かれるのが本当は一番いやだ。依頼内容や今の自分の状況に応じて値段は変えたい。

相場というのは大手が公表してる単価だったりするから、それより高いと文句を言うのがそう言う人であることが多い。私が描くものが欲しいから描いてくれというのでないなら、そっちに頼めばいいじゃないかと思う。こういう人だとお金の交渉がしづらくなるので、安くするのも面倒だし、他の仕事も一緒にしたくない。

お金に対する考え方が合わないのがもっともやりにくい相手なので、逆に自分のマネジメントのもとで働く人にはそこはしっかり話をして理解してもらいたいと思っている。

 

お金に対する個々の考え方は、学校でももっとタブーにせず、まじめに話し合ったり、子供の頃から勉強したらいいのにと思うことでもある。

 

まあ、今回の話の疑問点を言うなら、校長先生のお話が、学校の乱れについての苦言から、アルマーニが関連づけ辛かったことかな。

記事を書く人の考察力も足りないのかもしれないし、ご本人と話をしたわけじゃないから、私の考えも自分の経験に基づく推測でしかないけれど。

今「制服アルマーニ」でググると、有名人から一般人から、私も含めてみんなかなり勝手なことを言ってるので、ある意味情報リテラシーの教材にもなるし、経済学的なお金の話を考えるのにもいい教材かもなぁなんて思う次第。