プレゼンテーションイベントの前に

時間と距離を超えられるのがICTなのだから、私がテレワークで所在不明でも、管轄がスムーズにまわっていれば問題ない。しかし、テレワークが成り立っている背景には、私が常にどこかと繋がっていて、発信をしていることがある。共有ファイルを増やしたり、電話以外は連絡がきたら即レスというのも。そう考えると、未だに日本の学校が時間と距離を超えられないのは、発信することに慣れていないからなんだと思う。圧倒的に発信力が足りない。逆に、この業界で名を馳せている方々は発信するための試みが非常に多い。
SNS、ブログ、本、映像、もちろん直接飛んで現場へも精力的に行かれている。(飛び回る部分は私にはない)
誰かが発信してくれるものを消費することしか考えてないのでは、誰もその人が欲しがっているものになど気づいてはくれない。自分のカッコ悪いところも含めて発信し続けることができない限り無理だなと思う。良くない話の方が人は興味を持ちがちだ。
そして、発信してるのに、他人が認めてくれないと嘆く人は、発信してる側に立ってるつもりでも、どんなに努力して何かを作っていても、なにかを学んでいても、知名度が低いなら、それは「他人から見れば」やってないのと同じなのだと言うことを謙虚に理解する必要がある。
発信者は、自分がいかにできるか、いかに優れているかジャッジするのが自分ではなく他人である以上、認めてもらえないのは、発信しているものに訴求力が足りないからだし、発信先のニーズに応えていないからだろう。

そして何より絶対数が少なすぎるのだ。
私は研究者でもなく、ICTにおいては表現者でもなく、誰かのお困りを後ろからそっと支える、支えられる人を育てるだけの仕事なので、買ってもらえるものは自分の今までの経験と知識から生まれるアイデアくらいしかない。
それでも、毎日言葉や写真で発信し続けたり、現場で研修してやって見せて伝えていくことで、何かが変わり、いつのまにか自分を知ってもらえている。こんなしがないおばちゃんでもできるのだから、やるのは簡単だ。毎日発信し続けることだ。認められたいなら四六時中やるしかない。今はICTでそれができるのに、日本の学校は見せない出さないことを正しいとしており、出していいのは、訓練され整った、美しいもののみだから、そんなに頻繁に出せないし、出したって面白くもなんともなかったりする。そう言う所が結局ダメなんだろうなぁなんて思っているのだ。