ICT導入研修ラビリンス

ICT研修は今や自分にとって先の見えない迷宮…ラスボスが多分どこかにいると信じ歩く、長い長い果てしないダンジョン、いやラビリンスだな。

 

今年もまだまだ導入は続いていく。正月休みが明けたらすぐに現地チェックとテキスト作成が始まる。夏から続いたストレスは、私だけでなく、いや…一番辛いのは設置設定に走り回るSEさんたちだと思うが。マスター作りの前から設定検証とかいろんなことを事務所でやって夜中まで何日も働き続けてくたくただ。設置が始まってからもずっと苦しそうで。導入っていうのは、みんなすごく苦しい。出来上がっても現場からは納得してもらえず怒られる。かなり良くできていても、だ。そして最初に矢面に立つのは我々研修講師だったりする。

 

自分がやる導入研修は、準備がとてもハードだ。徹夜で作るテキストなどの作業量より、頭の中が忙しいので、周りにはあまりわかってもらえない気がするし、こんなにしても意味がないかも知れなくて、正直どこか間違っているのではとも思う。今年は一気に全て辞めてみるのもありかもとすら。毎年辛い。もう辞めたい。でもやってる。研修なんかいらないって人がいるが、本気で自由に使えるようにするなら、一番大事なのは「自分の責任」をみんなが認識することからだろう。それこそ理想。それこそ今一番日本人がだめなところなのに。

 

ここまで自分の知っているソフトの一般的に使い方を教える研修ではなく、その自治体に入ったその自治体なりの構成を理解して、手順ではなく、仕組みを伝えなくてはいけないと思ってやってきた。当然自治体も大規模だと自分一人で回れる数ではないから、ほかの講師の人にも仕組みを理解してもらわないといけない。シナリオ読めばいいよっていう研修にするとしてもそのシナリオがやっかいだ。やっぱり何か間違ってるのだと思ったりして迷走中だ。


はっきり言えば、導入する側(委員会や経営陣)は、コンサルなども入れてすごく考えていたとしても、全てが思った通りに行かないのは日常茶飯事で、それは自治体でいうならセキュリティポリシーのせいだったり、予算の限界だったり、ここ数年で一気に進化したテクノロジーに、学校も導入側もついてこれていないこともある。本音をいえば、もっとシンプルでいいんじゃないの?と思う。

 

現場で設定する人が新しく出てくる全ての機器とソフト、周辺のアクセサリー、アップデートする全てのOSの現在の状態を知ってるわけでもない。数も山ほど入るので、作業する人は慣れた人ではなく、最終的にアルバイトを大量に雇ってやる。そこでの指示が行き届かなかったり、作業したあとを見るとわかるのだが、多分わからなかったから聞くこともしないで、適当にやったな…という部分が出てきたりして、(…このあたりが最近の人は多くが自分で適当に判断する。年齢に限らず。わからなかったら聞いて欲しいし、指示する側も聞ける雰囲気を作ってほしい。チェックリストを作るのすら間に合わないこともある。作ったとしても見てくれてないこともある。自分でやってるのに、おかしい所をおかしいな?とか感じることもなく、「書いてあったからやった」だ。)

研修はいつもそれに足を引っ張られながらなんとか揃えたものを料理して、こう使う!を見せなくてはいけない、なるべくこれを使う必要性や価値をアピールしながらと思っていたのは、その後ろめたさがあるからかも知れない。

「大丈夫、使えますよ〜…面倒くさい?大丈夫ですよ〜こんな工夫をすれば…」これを必死でやるのがこれまでの支援員の仕事で、使えないものを使わせる、辻褄を合わせるみたいなことをやるから、ものすごく本人はできるようにはなるが、現場は一部の先生以外いつまでも使わない。やる学校はもとからやりたいから頑張る。でもそうでないところはオススメするのも辛い。付き合ってくれる先生に無駄なICT活用させてるんじゃ?という事すらある。

授業支援システムっているのか?個別最適化をいうなら、いらないんじゃないのか?

 

相変わらず自分は道に迷ってる。それでも、それでも、導入されたものはなるべく全て認識してもらいたい。ここにあるよってわかってほしい。決められた使い方などに縛られなくてもいい。タブレットに限らずプロジェクター、実物投影機、そして、物理的なものの紹介だけなら取説見ればいいと思うだろうけれど、いまだにこう言うものが入っても、研修に参加もしない人もいれば、参加しても興味を持たず、数週間後にはみたことすら忘れる人がたくさんいるのだ。取説も最近はネットにあって、そこを検索することすらできない人が多い。だから余計に見ない。だから座学だけではダメだと思った。

 

研修はみんな嫌がる。忙しいから。

研修日は指定されて来たはずなのに、のっけから怒られたり、嫌味を言われたりもした。昔は夏だとエアコンがあるのがPCルームだけだったから、涼みに来てさらに研修前から寝るという先生もたくさんいた。疲れているんだなといつも感じた。つまらない研修だから寝るなら私のせいだが、研修前から寝てるのだから。

 

かつてもうすぐリースアップになる数ヶ月前に、校内研修を依頼されて、電子黒板を見せたときに、「えっ!これテレビじゃなかったんだ!」「こんな良いものあるなら早く言ってよ!」とか言われて、正直がっかりしたし、もうそういうのは聞き飽きた。これ、導入した4年前に見せたよ…私あなたの顔覚えてますけど…なのに、あれが足りないからこれがないからできないとか、もうほんとそれって何なのか?!なら自分で買えばいいじゃん!💢とか乱暴なことを思ってしまう。でも本当に自分で買ってやってる人は孤独で、ほかの先生は真似しない。だってその人仕様だもの。安くはないもの。学校にあるのに、デジカメすらこの機種はダメだとか。このソフトは違うとか。結構な頻度で怒られてきた。そういう人が情報担当だと、ほぼその学校はその関所を通ることができないので、終わってしまう。

 

でも、逆に誰か一人の情報担当だけが頑張ってても誰もやらない。片付けすらしない。

いや、取り出しもしないし、2度と触らない。

一人で押し付けられた先生は本当に気の毒としか言いようがない。若い男性の先生が良くそれをやらされていた。「若い」「男性」=デジタル得意…なわけない。かわいそうだ。

 

だから自分がこの仕事を初めた頃は、機器の紹介と市販の取説がドバーッと山ほど印刷されただけのテキストが用意されるだけだった導入研修を、事前に現場に入って写真を撮ったり、実際に設置して見せて、座学ではなく、座らせないで全員で普通教室に運んでもらい、触ってもらって…とワークショップ的なものをやったり、CAN DOリストを作って、自分たちでチャレンジしてもらうスタンプラリーをやってみたこともある。そんなことを何年も必死でやるようになった。ここ数年は、導入されたこの機器をどこに置いておくのか?どうやって管理するのかまで話が及ぶことも多くなった。つまり、パソコンルームにほったらかしにしないで、保管庫あるなら、その置き場はどこにするのか、どう管理するのか、自分たちで考えてくださいという話をしている。さらにそれが中々できないので、支援員さんに頼んだのが管理簿作成とシール貼り、そして「はじめてのタブレット」の授業だ。知らないものは、やれと言われても思いつかない。でも一つ気づけば次が出る人は一人くらいいるはず。よく考えてみるとどんどん根っこの方に突き進んでいる。

「機能の全紹介」→「体験と紹介」→「ワークショップ」→「模擬授業と事例紹介」→「現場への設置体験とチーム分けした検討会」→「各校でどこに設置するかその場で決めてもらい、設置」→「先生だけでなくこどもたちへも使い方と大切にするためのレクチャー」→「裏付けのあるシールなどの貼り付けや管理方法の実施」こんなふうに自分の研修は姿を変えてきた。機能だけ教えて終わりでいいと思っていた、なるべく沢山の機能を伝えようとしていたお腹いっぱいの研修から、使う人が欲しいと思うところを抜粋した研修、実際に使うシーンを想定した現場に近い研修、そして、使う人たちの意見をもっと聞けるワークショップや、模擬授業を見せていただく機会を設けたり、自然に使う環境作りの工夫へと変わってきた。

これ、実は支援員さんがいれば全部できる。いやできる人が支援員さんになってほしい!支援員さんはものすごくできる人を集めて、教育もすごくして、そして直接雇用ではなく、やはり会社から出向してもらいたい!!

http://cony5064.hatenablog.com/entry/2019/11/22/111919

ICTにとって、「設置場所」「管理体制」はすごく重要だ。ただ、今回の一人一台はこれがちょっとハードルになりそうでとても危惧しているんだけど…。せめて使い方や置き場所は試行錯誤させてあげてほしい…。想定外の使い方でもいいじゃないか。

 

一方でICT研修は機器だけでなく、作ったデータがどこに保存されるのか、どこから閲覧できるのか全部理解してもらいたい。一番知って欲しいのはデータの流れと、アカウントによる権限の違いが何を意味しているのかなのだけど、これがもっとも理解されづらい。ここが一番、これからの子どもにわかって欲しいことなので、先生がこれを無視しないで欲しい。

でも無視されてきた。許しがたいくらい緩い。

多くのトラブルはそんな天才ハッカーにやられたんじゃなく、雑な管理で隙をつかれただけのものが多い。

アカウント、これをやらずに来たからどんどん遅れて、突然来た「クラウド」に右往左往するのだ。オンプレミスでもやっていたなら、クラウドなんか別に怖くない。ネットワークをセキュリティを情報モラルを感情だけでやってきて仕組みを無視してきたことのツケが今きてるのだ。

 

学校で導入研修をやると、タブレットになってからは、クレードルやキーボードから取り外して手に持ってもらったり、ペンで描いてもらったり、入力をソフトキーボードからしてもらったり、そうして検索をしてもらったりする。

最初に部屋に入ってくると
「わあーちっちゃくなったんだ」
それまで、15インチ以上のノートやデスクトップだったのがタブレットに置き換わったところが多いから。
多くが小さい画面にとまどう。
私自身そう思う。小さい。子供は多くがこのサイズにそんなに疑問を感じないようにも見えるが、大人と子供という大きな分類では決められない使い勝手はあって、そう思うとやはり端末はパーソナルであったほうが良いのだろうなと度々思う。

ちなみに、全てがあの10インチ程度の文教モデルか?というとそうではない。あまり小さくせず、12インチ以上のタブレットにしたところは、スペックも高い分起動も動作も良い。私的にはこっちの方が先生の不満は少ないと感じる。
ただ、小学校の場合、大きいため落とさないようなカバーをつけているせいで余計に重くなる。でも、実はこれでも、こどもは慣れていく。なんかもうデバイスはなんでもいいから自分で買ってきたほうがいい気がしている。

 

ただ、入れてから必ずと言っていいくらい言われるのは、「特別支援級はiPadにしてほしかった」ということ。これは無視できないと思っている。

iPadは、支援の必要な子に必要なアプリが多いことが理由だが、そのために必要なアプリを必死で探したりする前に、もとからある補助機能が非常にすぐれているので、特別支援級や支援学校にiPadが入った際は、この辺りの機能をとことん使ってほしいと思う。そういう意味で、一人一台を選ぶなら、「どのくらい紙の代わりになるか」ではなく、「どのくらい学ぶ人の助けになるか」なのかもしれない。徐々にiPadの研修が増えている。この助けになる機能は健常であっても関係なく使えていいと思う。

 

次に必要な研修はペーパーレスでも、特殊なアプリで見た目かっこよく何かをすることでもなく、というか、紙をタブレットにしなきゃならないのか?これが今一番言いたい。紙は紙。何かが違う。話がそれるからこれはまた。

やるべきは助けが必要な時にどんなものが助けになるかをアドバイス出来ることかもしれない。

見た目にごまかされない、明確な思考の補助になる、好奇心を満たす邪魔をしない、そういう使い方を伝える、気付いてもらうのが必要かもしれない。

 

そして、もっと先の話をするなら、機能は我々の希望を無視してアップデートされてしまうこともある。そうならないものを作れる力はもっと養っていく必要がある。

つまり、誰でも使いやすい高機能な洋服を着潰すのではなく、ずっと着られる洋服を作って自分で修理できる。これがエンジニアだけではなく、これからのデジタルネイティブができてほしいスキルなんじゃないだろうか。

アプリくらい自分で作ればいいじゃない。それは先生でなく、子供が作ればいいと思う。壁紙やアイコンだって誰かが描いてみんなで楽しんでもいいし、個別に学習するなら、自分の好きなBGMを聴きながらやったり。そんな音楽を自分で作ったり、みんなが、作れなくても作れる子がみんなのために作ってもいいだろう。プログラミングがクリエイティブがもっと自由にこどものものになるような、そんな一人一台がいつか実現されますよう。

 

先生は、何ができるべきなのか。学校はどんな場所であるべきなのか。研修をする自分はそこに何をするべきなのか。本当にゼロから考え直す時が来ている気がしている。