形だって大切だ。もちろんその意味も伝えたい。

今日はいい報告を聞いた。支援員さんが子どもたちに、機器の片付け方を教えて、任せて、後で見たらちゃんとコード類も教えたように綺麗に片付いてたってきいて、こんな役割も私たちが担えることが嬉しかった。

後で使いやすいように、安全であるように、必然があってそこに片付ける。

子どもたちに自由に使わせたいなら、大切に扱うことは教えるべきなんだ。おうちに無いような、すごいものを使わせたいなら、お金をかけて環境を整えてあげたいなら。そういうことを私たち自身が理解しておく必要がある。支援員はケーブルのまとめ方や、整頓の仕方、設置のアイデア、利用率の把握、そう言ったところを担うことで、先生方が安心して子どもたちに手渡せる、任せられる環境を作れる。その時間をもらえたらありがたい。ほんの3分でもいいのだ。

そのためには週1回は最低でも訪問したい。とはいえ、簡単じゃ無いのだから、月1回でもいいから現場に行っては、整えていくことや、発信していくことを努力したい。声をかけたり、掲示物で促したり、そしてやってみせたり。私たちが機器を綺麗にしたり、整頓したり、大事に扱う姿をみせれば、小さい子供はまねをする。

「せんせー、今日はタブレット使いますか?」「つかいますよ。運ぶのいっしょに手伝ってくれますか?」というやりとりが自然にできるようになる。大事に運んでそっと机におくようになる。

 


実は一人一台をやってみてショッキングな結果になってしまったところを知っている。中学生だけど、子どもだから扱いが雑、だから堅牢性が大事?それではいたちごっこだ。たしかに文教向けモデルというものまで出てきて、そりゃあ丈夫だ。それが買えるならそれも良い。だけどそれでも壊れるのだ。大切にすることを最近の子供はおうちで躾けられていないケースが多いと感じるがいかがだろうか。

去年の支援では、3年生にタブレットを、保管庫からもってきて机に運ぶまでを教えることから始めた。一人一台ずつとってくる。席に着くまで両手でしっかり抱えて机に運ぶ。机の上に真ん中におく。片付ける時もおなじ。そういうことって、もちろん安全ならどんな持ち方でもいいだろうなんてツッコミが入りそうだが、確実なものをひとつ教えておくのはとても意味がある。どんなに教えたって、だんだんいい加減になっていく。個人差がでる。性格もでる。自由にさせたいなら、わかりやすい形からでもいいから、安全を教えて、なぜそうなのかももちろん教えていけたら、ひいては情報安全という名のリテラシーが育つのでは無いかと思う。こまかいことを言えば、なぜ両手で持つの?なぜ机の真ん中におくの?なども考えさせなさいとか言われそうだけど。細かいことはみなさんのやり方でいいと思う。

物理的な扱いの理解は、ひいてはコンピュータや精密機器の性質を知るに至る。

コンピュータの基本的な操作の理解は、ひいてはコンピュータの仕組みをしることになる。

インターネットから情報を得ることや、発信することで、インターネットの仕組みを理解していくところに繋げていきたい。仕組みがわかれば、何が自分にとって危険になるのかを考えるきっかけになる。

以前情報モラルの講習を5年生やったときに、サーバーに情報があがっていく仕組みと、それを閲覧できる仕組みを簡単に話したら、顔色が変わった。ダイレクトメッセージは、自分のケータイから友達のケータイに直接届くんだと思っている子がほとんどだったから。

支援員さんに伝えておきたいスキルがどんどん増えていくけれど、大変だろうけど、こういうことができることも支援員に必要なんじゃ無いだろうか。もう本当に果てしない。けど、モチベーションはそれに反して上がるのだ。