「基礎体力をつける」ことの大切さ

2020年一人一台端末とか、プログラミング教育だとか、英語だとか、それはもう変革の嵐で学校現場は大変そうです。日々現場で、SNSでたくさんの先生方のご意見や実践を拝見しながら、しかし私はずーっとスッキリしないまま、毎日を過ごしていました。

 

バイスもソフトウェアも、使い方や用途は人それぞれ。日本も、自ら学べ、答えは教えない、自分で考えろみたいな風潮が最近強いですが、しかし、まったくの自己流は必ずしも良いとは言えません。
それがここ数年個人的に実施している、「Excel効率化研修」の人気の秘密でもあります。(地味に大人気です。ご依頼いただけたら行きます。)

自分のICT活用については自分の考えがあるものの、学校のICT活用についての現場や外部からの様々働きかけについては、ずっとモヤモヤしていたのですが、そんな時ふと昨夜見たTVで偶然見かけた、「イタリア人ってみんなおしゃれ。なんで?」という疑問の答えに驚きました。
イタリアでは、中学校は私服になるので、自分たちで服を買いに行くようになるそうです。しかし、洋服屋さんで、勝手に商品を触ったりするのは基本タブー。お店ではお客様一人に店員が一人ついて、着こなしなどをアドバイスするそうです。 なので、イタリア人がおしゃれでなくなるのは、部屋着でくつろぐ時くらいで、外に行くときはコーディネートを考えて服を選べるように、子供の頃になるそうです。なんかうらやましい。

 

人まねでないオリジナリティを尊重することとか、原宿で昔から見かけるような奇抜な服装はそれはそれで文化ですが、お洒落な服装への理解は、お洋服の手入れなどにもつながるので、大事なことだと思っています。高い服を揃えなくても、いい生地を見分けたり、身体に合う服、自分に似合う服を選べるセンスは経済的にも得をします。全身ブランドでもダサいと高価なものに見えなかったりしますし。生地や縫製の良さで高級ブランドを選ぶ方もいますが、いかにも高級ブランドとわかるものは、やはりそのネームバリューにあやかりたい人も多いと思います。

 

前置きが長くなりましたが、今私が直面しているもやもや問題は、ICT支援員のスキルの底上げです。スキルと言ってもICTだけじゃなく、です。
支援員さんたちに雇用元からスマホ(今はガラケー)を支給していただく交渉をしているのですが、私としては自分のパソコンやタブレット持ち込みが難しい学校もあること、情報共有のためのツールを利用するのにスマホがあればストレスが減ることなどが理由なのですが、しかし、その反面、支給したとして支援員さんがすべてそのスマホを本当に使いこなせるか?というと、全く違うのです。操作やアプリを知らないとかではないのです。個人では持ってますからね。ここがいつも言う「ICTの基礎体力」。


例えばLINEで情報共有をしたとしても、いつもいつも答えるのは決まった人で、メンバーがたくさんいるのに、誰もがただ、リーダーに問い合わせるだけで何度教えても学習せず、また同じ質問を繰り返す人が多くて、「もう以前聞いたことなどはボットに返事をさせることはできないか」なんて話があるリーダー役の人から出たくらいです。

ちょっと私的にはがっかりしました。

ここで問題なのは、そのチームはみんな個人で高価なスマホもパソコンももっていて、キャリアも10年超えるようなベテランばかり。現場では愛されていますし、感謝もされています。なのにこれはどういうこと?と言いたいのです。


スマホを持っていても、ググるということを知らない?まさかと思いました。

また、LINEは遡ればトークの履歴が検索できること(これはメールなどでも検索機能がありますから、支援員なら「あるかも?」と気付いてもいいと思います。)を考えない。自分が普段使う、いやLINEは利用者の多さでいったら今や日本では誰もがと言っていいくらい使われているアプリなのですから、深堀しておいて損はないはず。
そして一度聞いた話を保存したり、整理しておかない。せっかく文字で残っているのに。
このあたりはすべて情報リテラシーの部分です。
LINEのトーク履歴はデータの宝庫です。
これは設定からテキスト形式で吐き出すことができるので、私は自分のチームのトーク履歴は時々落として傾向を見たりします。

 

LINEもすっかりメジャーなものですが、最初に書いた、Excelも得意不得意が分かれるツールのひとつです。Excelであれば、天下のMicrosoftが、誰もがやりそうな作業で「めんどくさい」と感じる部分に何も対応しないのだろうか?いや、何かあるんじゃないか?自分が知らないだけでは?と疑いもしないで、ただ、文句を言いながら手作業をしていたり、他人に頼んだり、聞いてばかりいて、負担を強いていたりしてませんか?ということを支援員さんにも問いたいのです。

つまり、BYODにせよ、一人一台買い上げにせよ、学校配備のパソコンルームにせよ、使い方をある程度は教えるべきで、デバイスを自由に選べれば良いわけではないと思うのです。意味のない暗闇の中での試行錯誤による学びは、遭難して、運よく無事生還した後に、なにかを学んだと言ってるのに近いと感じるのです。うっかりすれば死んでしまいます。帰ってこられず遭難したままになるかも。

ICT支援員をお勧めはしていますが、キャリアは関係なく、正直まだ基礎体力がちゃんとある人が多くはないことは、認めざるを得ません。

子供達もデジタルネイティブではありますが同じではないでしょうか?
服の着方と同じで、操作方法は知っている。
でも、肝心なことを知らずに、ただ闇雲に使えばそのうちお互い学び合うなんてことはないと思っています。現に、うちの娘の友達ですら、スマホはほぼ全員持っていても、いつもわからないことをググりもしないで娘にきいてくるので、うんざりして「自分で調べて」と言ったりするそうです。「調べればわかることがたくさんある」ことを、本当に理解しているようには見えないのが多くの「調べ学習」の実態です。

「調べるために、本でも、パソコンでも、人に聞いてもいい」と先生方はおっしゃるそうですが、調べることをするために、本は字が読めなくてはいけません。英語が読めればもっと広がるでしょう。パソコンなら文字が打ち込めないと調べられません。フリックや音声も対応してきましたが、それでも、娘曰く「確実で速いのはタイプすること」。そのためにキーボードからの入力はできたほうが便利なのです。検索をするなら、コンピュータが理解しやすい検索文字列はどんなものかを直感的に理解するために、コンピューターの性質を知っている方がいい。そして、人に聞くならコミュニケーションのための話す力が必要で、その後に集めた情報を整理、保存したり、連携させたりすることも必要です。
「情報を得る」という操作ばかりができて、そのために必要な技能や、得たものをどうしたら欲しい結果に結び付けられて、さらに再利用することで、効率化するのかまでをどこかで明確に教えていかないといけないのではないでしょうか?

学校教育にこれらのことは多分元々あるものなのでは?と思っているのです。なのに、コンピューターが挟まるとどうしてインプットだけになってしまい、その後が今一つなのでしょう。最近では「アウトプットが大事」なんて言ってますが、それがいきなり「プレゼン」するだけで、肝心なインプットからアウトプットへ行く前のところ(どう情報を集めるか、それをどう整理するか、自分の考えに落とし込むかなど)をすっ飛ばしているように見えてしまうのは私がまだまだ学校がわかっていないのかも知れませんが。

 

だらだらと書きましたが、もう一度、「調べる」って何なのか?大人も子供も考えてみたらいいのかも知れないなと思った次第です。

 

 

ホスピタリティとICT支援【その2】

今日は機器の話やソフトの話が終わった後、何か言っておくことはありますか?と上司に聞かれたので、新しい支援員さんたち(含む経験者)に少しだけお話をさせてもらいました。
「すでに支援員研修でも聴いていると思いますが、最後に再確認しておいて欲しいことをお話しします。学校に訪問するということは、たくさんの子供達にも接します。この季節は特にですが当然普段よりも風邪やインフルエンザにかかる確率があがります。もしも朝『ちょっと熱がある』などあきらかな症状がある場合、無理して勤務することは、絶対にしないでください。
これからの季節、小中学校も受験のお子さんは本番間近で、頑張っています。万が一にも、私たちが媒介者になるようなことがないように、まずは健康であること、寒いですが手洗いはこまめに。うがいや歯磨きをきちんとして、体を清潔にすることで風邪やインフルエンザはかかりにくくなります。また、インフルエンザ以外にも、学校には指定された伝染病があります。この機会に自分たちできちんと調べてみてください。その病気の兆候なども理解しておくことで安全に勤務をすることができます。学校のさまざまなことに興味を持ってください。
休む場合はなるべく早く、まず学校に連絡をすること。電車の事故や天候による遅延などの場合も同様ですが、必ずいつ頃到着できそうかの目安なども分かる限り伝えてください。電話ができない場合はメールでもメッセージでも良いので私たちに連絡をください。代わりに連絡をします。
また、学校の周りでの行動にも注意をしてください。運転も道路を歩くのも電車内などでも交通ルールを守って、安全に配慮してください。
皆さんは、今私たちの会社に属し、この自治体の学校で働く人としてみられています。ほかの仲間たちや、サービスの人たち、営業さんたちも、私たちと同じ学校に携わる仲間です。その人たちと同じ企業の名札をつけて働く人として、看板を背負って歩いていることを意識してください。みなさんへの信頼が、ほかの周りの仲間たちの信頼にもつながります。学校の先生や子供達のみならず、地域の方々からも信頼されるメンバーであってほしいと思っています。それではこれからどうぞよろしくお願いします。」
この話を時々機会があるとします。支援員の仕事は不安定だし、時給も安かったり、大変だったりしますが、どんな仕事でも誇りをもってモチベーション高く臨んでほしいと願っているので、ちょっとでもそれを感じてもらえたら嬉しいと思います。
そして、同じ仲間として経験やスキルにかかわらず、全ての学校を支える仲間に敬意を払いたいと思っています。

ホスピタリティは、お辞儀をしたり形だけの通り一遍のマナーや、特別なサービス、万難を排して勤め上げるということでなく、相手のことを思って優先順位を冷静に考え、行動することではないでしょうか。

つづく

参考資料:「学校において予防すべき感染症の解説」

http://www.mext.go.jp/a_menu/kenko/hoken/__icsFiles/afieldfile/2013/05/15/1334054_01.pdf

ホスピタリティとICT支援【その1】

私の仕事は、お初の学校に出かけて、そこで数時間の間お部屋をお借りして研修会を行うというものが多いのですが、支援であっても、研修講師であっても、ひとつだけ、絶対に行っていることがあります。それは、学校を離れる際に、来た時よりも綺麗にして部屋も機械もお返しするということです。(後ろが詰まっているから終わったら片付けもしなくていいから帰ってくださいという時は仕方ないですが…)
私は自社のデモをするのではなく、どちらかというと導入後のお客様の機械を使って、研修をすることがほとんどなのですが、数年経った機器は、少なからず汚れたり傷んだりしています。
また逆に、入れたばかりだと、本来開封して接続が済んでいる方が良いものもそのままになっていたり、使いづらい状態のまま放置されていることも。
その機械が自社の導入であろうと、他社もしくはお客様の自前(学校購入)であろうと、それは関係ありません。
帰るときにはなるべく良い状態でお返しする。
そのために、マイクロファイバーの目の細かいクロス、ハンディモップ用のお掃除シート、ブロワーなどは必ず持っていますし、場合によってはマイクロファイバーのタオルはプレゼントしてくる時もあります。支援員だった時は、機器にナンバリングをしたり、剥がれそうなシールを新しく貼り替えたり、チョークの粉だらけの機械を綺麗にしたりなどもよくしていました。
また、面倒な接続が必要な機器や、出し入れが頻繁な機器は、設置場所を相談して、そこにきれいに設置して、その場所、設定値などの状態を先生に写真を撮っておいていただいたり、出し入れするならビニールテープでばみっておくなどの工夫をお伝えしたり。
こう言ったことができているかどうかで、その学校での活用は実はとても変わったりします。
ICT支援員はSEやCEの知識と授業の知識があればいいと思っている会社も多い気がしますが、それなら、ICTに長けている先生がいらっしゃれば支援員の必要性は感じられなくなります。
本当に後々まで学校の活用促進に貢献する支援というのは、そこだけではないのです。
気持ちよく、長く、安全に使うための工夫と管理。それは1番面倒臭くて、明確に必要な仕事としては誰もやっていないことなのです。

支援員を育成する上で、このようなことをトレーニングしたり、話し合ったりすることがまだまだとても少ないと感じています。

我々のようなものでなくても本当は必要なこの考え方は、会社での教育でも、学校教育でも、そして今の子育てにも足りていない部分な気がしています。

次のブログで、もう少し別の視点からの話をしたいと思います。

[つづく]

公開授業をすること

ICT活用の公開授業って公開するために良いものにするんじゃなくて、良いものがあるから公開するんじゃないのか?だったらこれじゃないと思うのはシロウトだからだろうか?支援をするなら、先に良い授業を見せてもらって、それを、さらにICTで効率的、汎用的なものにできれば良いと思う。順番が逆だからダメなんだとずっと思っている。しかし、良い授業というのは、美しいアートと似ていて、作った本人でないと、再現できなかったり、一般化すると品質が保たれないこともあるし、それですでに良い授業なら、シロウトのICT屋が余計なことは言いづらい。その先生自身が、ご自分の授業をさらにICTを加えて、味方につけて、アップデートしてみようと思わないと踏み込めない。これはかなり昔(もう10年くらい前)個人的に参加した教育イベントで、登壇したある先生が「ICTでもっと良い教材や授業方法を共有しましょう」と発表しておられたのに、あまり反応が良くなくて、「こう言うと嫌われちゃうんです」とおっしゃったのを今でも思い出す。でも、誰がやっても良い技術というのは残っていくと思う。
将棋マニアの長女から、先日羽生さんが竜王戦に勝ったとLINEが来た時に、実は藤井さん(そうたくんではない)という棋士がいて、ファンからはてんてーと呼ばれ、botまでいると聞いた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/藤井猛
この人は今は全然勝てないそうだが、この人の考えた戦法は羽生さんも使っていて、それで藤井聡太君に勝ったみたいな話をきいた。(詳しくない私の調べなので間違ってたらすみません)娘曰く、「羽生さんは戦績が歴史に残るけど、藤井さんはその戦術が歴史に残る人だ」なるほど。
ICT活用に限らないが、その先生がすごい、その先生の授業だからすごいと名前が残るのと、その先生が考案したICTの使い方、授業の進め方が○○法とか○○メソッドとかなんでもいいけど、わかりやすく、うまくいく戦法として残るのとは違う気がしている。その人が残るのは姿形や名言とか、好きな食べ物とかその人個人のWikiみたいなもの。手法は、そこにその人の名前が付いて入れば、うっすらと名前は残るだろうけど、顔もどんな人となりなのかも残らなかったりするが、やり方として広がるのはこちらのほうだろう。
前者に憧れる人は多い。後者だとしても自分がオリジナルだと言うことにこだわるのは仕方ないと思う。産みの苦しみがあったのだから当たり前だ。なので両方が成り立てば一番いいのだろう。中々多くはない気がするけど。

もう一つ別の方向から話をするなら、ICTを積極的に使ってみようとするのは若い先生が多い。しかも女性が多いことをご存知だろうか。データを取ったわけではないが、そう感じるのだ。
「やってみたいです。でもどうしたらいいかわかりません。」と言える人はチャレンジが早い。支援員が味方についていれば、夢中でチャレンジを繰り返す。良い授業にICTを加えると書いたが、まだ若い、経験の浅い先生はこれからの教員人生長いのだから、チャレンジして失敗しても良いというチャンスを与えられる必要があり、それを研究、公開授業という形で公に見てもらうことは意味はある。しかし、そこに見にくる先生の見る、聞く姿勢はどうなのかとこれまた疑問を感じる。これは学芸会ではなく、チャレンジの場なのではないのか。失敗なんてない。でも玄関でご挨拶するために立っていると、笑いながら「あれはダメだな」とかそう言うダメ出しを平気で発しているおじさんたちがたくさん通る。(文教はおじさんが多いから仕方ないけど)協議会でもコテンパンにされるのを見ることもある。でもじゃあどうしたら良かったのかは出てこない。だって否定する人は自分は使わない人だもの。一つでも良いところを見つけて拾い上げ、ダメなところは、「そこはICTじゃなくていいんじゃね?」ではなく、こうしたらどうだろう?と考えさせる投げかけがあって然りではないのか。


話を戻すと、これからまた公開授業、研究授業、そして学会発表と一年かけてお手伝いをするのだが、ICT活用をテーマに発表する前に、やはり支援員として中に入って、普段の授業を普段の行事や生活を共にしてみて、問題点やお悩みを聞き取り、信頼関係を築いたのちに、そこに必要なICTを整備していきたいと考えてしまうのだ。
そうなるとやはり支援員は既にあるものを理解する、日々のトレーニングが必要だけでなく、ICT導入前の段階で学校に入る必要があるんじゃないかと思う。今回の支援はもう今更だけど、この学校(2校ある)にたくさんお邪魔してやらねば一年を無駄にさせてしまうように感じて恐ろしい。もっと言うなら、それを私なんぞに丸投げされているということは、情けなくもあるのだと書いておきたい。

プレゼンテーションイベントの前に

時間と距離を超えられるのがICTなのだから、私がテレワークで所在不明でも、管轄がスムーズにまわっていれば問題ない。しかし、テレワークが成り立っている背景には、私が常にどこかと繋がっていて、発信をしていることがある。共有ファイルを増やしたり、電話以外は連絡がきたら即レスというのも。そう考えると、未だに日本の学校が時間と距離を超えられないのは、発信することに慣れていないからなんだと思う。圧倒的に発信力が足りない。逆に、この業界で名を馳せている方々は発信するための試みが非常に多い。
SNS、ブログ、本、映像、もちろん直接飛んで現場へも精力的に行かれている。(飛び回る部分は私にはない)
誰かが発信してくれるものを消費することしか考えてないのでは、誰もその人が欲しがっているものになど気づいてはくれない。自分のカッコ悪いところも含めて発信し続けることができない限り無理だなと思う。良くない話の方が人は興味を持ちがちだ。
そして、発信してるのに、他人が認めてくれないと嘆く人は、発信してる側に立ってるつもりでも、どんなに努力して何かを作っていても、なにかを学んでいても、知名度が低いなら、それは「他人から見れば」やってないのと同じなのだと言うことを謙虚に理解する必要がある。
発信者は、自分がいかにできるか、いかに優れているかジャッジするのが自分ではなく他人である以上、認めてもらえないのは、発信しているものに訴求力が足りないからだし、発信先のニーズに応えていないからだろう。

そして何より絶対数が少なすぎるのだ。
私は研究者でもなく、ICTにおいては表現者でもなく、誰かのお困りを後ろからそっと支える、支えられる人を育てるだけの仕事なので、買ってもらえるものは自分の今までの経験と知識から生まれるアイデアくらいしかない。
それでも、毎日言葉や写真で発信し続けたり、現場で研修してやって見せて伝えていくことで、何かが変わり、いつのまにか自分を知ってもらえている。こんなしがないおばちゃんでもできるのだから、やるのは簡単だ。毎日発信し続けることだ。認められたいなら四六時中やるしかない。今はICTでそれができるのに、日本の学校は見せない出さないことを正しいとしており、出していいのは、訓練され整った、美しいもののみだから、そんなに頻繁に出せないし、出したって面白くもなんともなかったりする。そう言う所が結局ダメなんだろうなぁなんて思っているのだ。

今朝のプログラミング「教育」考察

【今朝の頭の中】
先に書いておきますが、頭の中を書き出すとまた考え方が変わったり、あとで読んで何かに気づいたりするので書いてます。
皆さんがコメントくださるのも私の頭には少なからず影響があって、「へー」とか思うとやってみます。なので、「何言ってんだ!ちがうだろ!」と思ったらそう書いていただいても良いです。そうかぁ…と思ったらまたコロリという事変わるかも知れません。

さて、頭の中に浮かんでることを書きますが、プログラミングの教科ごとの活用例は、子どもの教材作りなのかな?誰が作るの?先生?
いつも私が研修で伝えてきた、機器やサービスの活用の目線だと、「ICTは時間と距離を飛び越える」というキャッチフレーズの足元が揺らいでしまいそうでドキドキします。

「ますます忙しくなったじゃないか!💢」と叱られる…。
いちいちゼロからプログラミングで教材を作るのはものによってはかなり大変かな。シミュレーションさせたいものが明確にある時点で、先生方がそれを作って、配布するだけになると、子供たちができるのは、パラメーターの限界に挑戦してみるとか、キャラクター変えるとかになりがちで、飽きるまではめちゃくちゃを試したくなる子が多そうに思う。当然制限なく改造できるんだから、間違いなく、こちらの意図から外れて別物を作り出す子が出てくるだろう。それが良い!ということなら、私はあくまでサポートだから先生がやりたかったことがそれであれば、子供を止めたりはしないです。めちゃくちゃな数値を試すことで何を発見するのか、じっくり観察する時間的な余裕があるならそれにも対応します。その日の目的が別にあるなら、あらかじめ入る数値や言葉は制限するか、もしくは進行するのに時間制限を設けて、ストップをかけるなど、コントロールが肝になりますよね。

ただ、本に載ってるサンプルをそのまま作るのでも意外と時間がかかる。色んな本に出てるサンプルや人が作ったものを真似して作ってみていますが。
でも、あらかじめ各教科ごとに使えば効果のある教材を準備して(誰が?)、それを各自が真似して手元のコンピュータで作り?(うーん、ものによっては配布しちゃえばよさそう)そこに例えば文字列を入れてみる、数値を入れてみる、クリックしてみる(どんな文字列を?どんな数値を?どんなタイミングで?)何度も試してみて、出た結果を元に、自分の考えを整理していく。実験。その結果何かに気づく?
色んなところで実際に子供達にプログラミングさせている報告では、子供にもループや条件分岐はわかるとかできるとか…やっぱり組ませることを見てるわけで、それいつやるのかな…と思うわけです。授業の中で組ませるのかな。

授業の中で組ませた例も見たことはあるけれど、じゃあ同じ単元をプログラミングなしでやった場合、所要時間はどのくらい?そして子供の理解度や定着度はどちらが高い?それこそ、子どもたちは生身だから、同じ能力の同じ人数で実験するなんてむずかしい。非効率的で以前よりその単元にかける時間が増えても、プログラミングを身につけることができているなら良しなのか?否か?
少なくとも教科で取り入れる前段階で、操作くらいは教えておかないと困るだろうな。1回の研修で例えばscratchを教材がオリジナルで作れるくらいまで理解させるとなると、1時間程度では無理だな。真似っこするために、決まったものを完成させる操作自体だけならできるかな。結局全員に同時期に同じものをある程度同じレベルまで習得させるというスタイルがある限り、プログラミングは、これまでの通常の授業の中で余計な作業をする時間をとらなくてはいけなくなる。

数日前に、「プログラミングは算数や理科と相性がいい」と思ったけれど、算数や理科は求められる答えがもう先生方の中でこれ!と決まっていることが多いから、コンピュータで何度もトライしてみることは、今ある定理の仕組みや正しさを納得するためにシミュレーションしてみるような活動になりそう。うーーーん。
意外とそれよりもコンピュータの本気の無作為(人間はどうしてもそこに意思が働く)とか、無限に繰り返すとかスピードが速い(疲れない、人間ではできないスピード)などを利用して、国語や英語、社会など、答えはひとつじゃない?ことが多い教科で使えるのかも知れないと思い始めました。むちゃくちゃな数値をいれたら、どうなっちゃうのか。例えば社会で人口増加とかのシミュレーター作って、少子化問題はどんな要素が加わると解決するのか考えてみるとか。別に子供増やさなくてもよくない?ってことになるかも知れないし、どうにかすると自ずと増えるようになるかも知れないし、それはどんな要素が必要なのか、無限に考えて追加できるかも知れない。すごく巨大なプログラムになりそうだけど。あ、そういったセッション的なみんなで作るのなら面白いかな。それぞれがプラグイン作ってくるみたいな。

いずれにしても、そういったことをやるには、先生も子供たちもプログラミング「的思考」じゃなくて、プログラミングやらないとできないでしょ。で、じゃあコンピュータで組むんじゃないならアンプラグドとか?

アンプラグドを見た時に思ったのは、これ、普通にコミュニケーションスキルのトレーニングかな、と。日本人ははっきり言わないから伝わらないとか言われてて、語尾をぼやかしたり、察してもらおうとしたりというのが、人間らしいところなんだけど、最近はそういう言葉のために、人と繋がるのがうまくいかないことが多いから、こちらの意思を的確に伝えるためのトレーニングとしてどうかな、と思ったんだけど、これは違うらしいです。なんか。何がどうだめなのか教えてください。

そういうコミュニケーションにおけるメソッドについて、定型発達(この言い方はなんかいや)の人間が、発達障害の人に伝わる言い方を学ぶのには、何かすでに私が言ってるようなメソッドが存在するようです。これも知りたい。

アンプラグドは、コマンドを受け取る側の動きをあらかじめ制限しないと、人間がやることなので、判定が甘かったりして、なんだかピンとこないんです。フローを考えるところをアンプラグドだと言うのも見ましたが、最終的にはコンピュータにやらせると、あれれ?ということになって、バグ取りするんですよね。やっぱりコンピュータは必要。

結局のところ、授業で何を目的にしているのか、今までの指導案でやったら時間はたりないわけで、無理矢理感がはんぱない。

で、今までやってきたやり方を大きく変えて、そこにプログラミングが入ってくるなら、やっぱりそこでコンピュータ相手に組む姿しか思い浮かばないのです。

もしそうだとするなら、子ども同士が学び合うとはいえ、先生も全くわからないところからじゃ辛いでしょうから、ごく簡単なものを組んでみていいんじゃないでしょうか。そこを習得するのを手伝うのと、ほしい教材を作るお手伝いくらいなら支援できるのかしら。

うーん、やはり支援員って常駐せざるを得ないのか。対応できる支援員を育てておきたいけど…。とまた頭を抱えるのです。

 

 

研修のいらないICT活用?

「先生は多忙だ」

「研修会なんて受ける時間は取れない」 

「そんな忙しい先生のために、直感的に使えるものを」

この前のブログでも書いたけれど、私は研修会講師をしたり、研修会自体をコーディネートすることが多いが、「研修」が単なる「操作方法」や「運用ルール」の説明なら、「研修が必要ない」という考え方になっていくのは当然かと思う。そのくらい教育系ソフトや機器は私からみると「使いやすさ」に拘っているなーと思う。
しかし、しかしだ。私が思うのは、各メーカーさんにわかってほしいのは、機器もソフトも「すでに今迄使ってた人たちにとって」簡単にわかりやすくなっているだけのものが多いことだ。
すでに一定のリテラシーがあるから「便利」「わかりやすい」となっていること。作る側もアドバイスしているユーザーも使い慣れた人間だったりする。できる人同士が、お互い必死で高め合って一般が届かないはるか高い所に上り詰めてしまった、究極の「使いやすさ」「便利さ」になっていないだろうか。「直感的」って何だろう。それは「ICTリテラシーの高いあなた」にとっての「直感」ではないのか。
私は、必ずしも潤沢でない予算の中で、また、普段からスマホにもタブレットにも触れず、インターネットもメールくらいしかあまり使わない、でも先生としてたくさんの良い授業をされている、そんな人たちにお話をすることがあり、その度に自分の思い違いを認識する。その度に離れかけた地面に足を着け直すのだ。

ふぅーあぶないあぶない、また天に昇ってしまうところだったと正気に戻るのだ。

キラキラと輝く文教ICT業界を見ながら、研修のために現場におもむくと、そこにある現実はすごくすごく遠いところにある。

 

ところで今迄私が携わってきた学校向け「研修会」としては、以下のようなものが比較的多い。

⚫︎ICT機器の導入
⚫︎ICT機器の活用
⚫︎Office(初級〜中級)
⚫︎Adobe(PhotoshopIllustrator他)
⚫︎ホームページ関連のソフトウェアや各種CMS
⚫︎授業で使用する各種学習支援ソフトウェア
⚫︎校務支援システム(コミュニケーションツールや成績処理システムなど含む)
⚫︎情報モラル(私たちは情報安全と呼んでいます)
⚫︎プレゼンテーションスキル(テーマの決め方から調べ方、資料の作成、発表、聴き方、質問の仕方など)
この中で、実は情報モラルとプレゼンテーション以外の、ソフトウエアやハードについての研修のはその内容を講師がどのように理解しているかで、同じ名前の研修会でも、実施する意味が大きく異なる。

どれも操作の仕方はどんどん簡単になり、チュートリアルやヘルプがお節介なくらい出てきて、マニュアルだってサポートだってある。


研修というと、よくあるのは、メーカーの説明員がやってきて、使い方を流暢にしゃべり、その時一緒に操作についていけると、何だか楽しさとともに、できた感があって、特に文句も質問もなくおもしろかった!という満足感とともに笑顔で終わる研修だ。


かつては私も50人くらいの受講者が、全員まるで遠隔操作ができるかのように、ソフトを迷わず操作してゴールにたどり着くことに快感を覚えて、そこに力を注いでいた時期があった。

それはそれで今も役立つスキルではあるが、しかしそんな研修なら、いずれそれはペッパー君がやってくれるだろう。

 

数年前に、あるインストラクターを投入した学校から、クレームが来たことがあった。そのインストラクターはまだ確かに経験は浅かったが、説明は下手ではなく、事前に何度も練習をしていたまじめな人だった。
しかし、ひどく強いクレームだったので、改めてそれはなぜなのかを調査した。

すると、実は他の学校でも違うインストラクターが入っていたのに、同じようなお困りが多かれ少なかれあることがわかった。
それは、「操作の仕方はわかったが、で、私たちはこれから何をすれば良いのかわからない」ということだった。つまり、操作はわかっても、「運用方法」が業務に直結せず、なにから始めて良いかわからないのだ。


今まで似たようなものを使っていた先生が管理職だった学校は、特にクレームもなく、しかし手探りで運用を開始していた。

クレームの原因は、研修の際に、「お客様が実際に使うとしたら」必要になる情報がまるでなかったのだ。今も私が研修会に力を入れるのは、どんな便利なものであっても、個別の事情に合わせた情報提供が必要だと思うからだ。

今まで使い慣れていたシステムやソフトが、新しいものに変わった時、その人が必要な情報はなんだろう。
その人は、そのソフトを使うことが仕事ではない。そのソフトを使ってどんな業務をこなしたいのか、それを踏まえて話をするのが人間にできる研修なのではないか。(そんなことすら、いずれロボットができるようになるのかも知れないけれど)そして、私がインストラクターとテキストを作った人に指示をしたのは、お客様が以前使っていた、使い慣れた他社システムのことも知り、今までの運用が、新しいシステムに変わることによって、どう変わるのか、その変化が対比できるような図を描けというものだった。

つまり業務の本質的な流れや人の動きは変わらないなら、それを中心にお話をしなくては、伝わらないということだ。

今のタブレットやプロジェクター、電子黒板などの活用も、素晴らしい授業をされる先生は、その授業の中身自体にICTの出番がないことも多く、だからこそ、こちらがそこにどうフィットさせ、今のお困りを発見し、解決するかに言及できないと、単なる負担にしかならないのだと思う。
「困ってない」そういう人もいるだろう。今まで通りならそりゃあもう困っていない。

へたなICTなぞ余計なお世話だ。
そこで私がいつも提案するのは、「時間を増やす」ことだ。そして、もう一つは「情報を活用する」こと。これはICTがとても得意とすることでもあり、人間がなかなかできないことだと思う。先生の授業は確立しているなら、素人の余計なお節介は不要に感じるだろう。私たちが支えるのは、その授業をより多くの子供に届けたり、より効率よく情報伝達をする手伝いなのだ。

具体的に例をあげるなら、手作業でやるよりデジタルでやったほうが速いことを探す。

それに置き換えることをイメージして、実際どのくらいの時間短縮になるかを見積もる。

そうしてできる時間をたくさん作れば、45分間の限られた授業の中で、子供が考えたり、発言したり、話し合ったり、調べたりする、子供が自発的に行う活動の時間を増やしていくことができると思うのだ。

また、校務では、より早く、快適に事務作業を進める方法知り、スキルを培っていただくことで、できた時間を追い詰められている先生方が、ほっと一杯コーヒーを飲んで、好きな音楽を聴く時間にあててもらいたい。

そこでさらに仕事を増やしてはだめだと思うので、本音を言うなら、作った時間を正しく使うこともアドバイスしたい。

 

夢のような機器やシステムが発明されていく中で、初めてでも使える物が、導入された時、必要なのは、そのユーザーの環境がこれからどう変わるのか、普段の業務がどう変わるのかを説明でき、個々のお困りや見えない改善点を見つけ、それをどう実現するのかをイメージさせることができる「人」なのだと思う。

そう言ったことをイメージさせる研修は「要らない研修」ではないのだと思っている。