支援員のキモチ【その3】

3歳くらいの時、三輪車を仰向けにひっくり返して、ペダルを手でぐるぐる回しながら、じゃりをガリガリかきまわして、「焼き芋屋さん」ごっこをした。これが誰に習ったわけでもないはずなのだが、なんと全国的に長年にわたりやられている幼児の遊びだと知って驚愕している。
学校ICTの活用については、小難しい言葉で表現するよりも、もっとカンタンな一般の人でもわかる言葉で、「なーんだそんなもんか」とがっかりするほど単純な使い方を伝えていきたい。教育業界に長くいると、頭いい人ばかりなので、ブログやSNSなどでの言葉がとにかく難しい。
でも現場の先生は、会話の中にそこまで小難しい単語は入れてこない。ほっとする。
頭悪い私としては、頭悪くてもわかる言葉でないと、議論しても「うーん、何言ってるかわかんない」と思ってしまうことが多い。社内のメーリングもそうだけど、うちの会社も頭いい人が多いのだろう。「大人って難しいこと考えてるんだな」と中学生の頃思った気持ちがいまだそのままなのは、大人は難しくものを表現するのが好きなだけなのかもしれない。
私の研修が喜ばれるのは、現場の先生が、明日からやれるようなことしか語らないからだと思う。
正直たくさんの機能はいらないのだ。
目を惹く楽しい機能は、その作成者の決めた使い方を押し付けるものでしかない。
シンプルってなんだか理解できてる業者がどれだけいるのだろうか。
いつもそのギャップに悩むので、導入研修の時ですらそんなのを全部とっぱらって、メーカーに怒られそうなくらい、機能の説明をしない。
また、教育に関しても余計なことは一切話さない。だって私の目的に関係ないから。
それより「人間の機能」として、ここが便利、ここに意味があるという自分の経験に基づく明確に説明できる話だけを伝えていくことで、相手はそのカンタンさにやる気を喚起されるのだ。
本当は乗り物として作られた三輪車だが、作った人は、まさか焼き芋屋さんになるとは思いもよらなかっただろう。
そのくらい本当はシンプルであるべきものが、教育業界はあまりに手取り足取り限られたひとの意見でゴールまでの道筋をつけすぎた製品を作り出し押し付けすぎて、こんなにこじれた世界になってしまったのかもしれない。
お客様のやりたいことと、その機器の、ソフトの持っている機能があまりにずれていた時、できませんと言うのか、何が何でも実現するのか、メーカーはカスタマイズしてしまい、ますますこじれていく。力をつけた先生は、言えばそのアイデアが形にしてもらえるかもしれないが、聞く方のメーカーは考えて欲しい。それは今やってみたいだけで、失敗に終わるかもしれないアイデアだ。どんなに立派な先生だろうとも、人間に未来は見えない。
しかし失敗しなくてはわからないことだってある。失敗してもやり直せるようにするには、最低限の機能だけで良いのだと早く気づいてくれと願うばかりだ。焦ってつまらぬ改変をするな。
ほかのメーカーに先を越される焦りに負けることは、マスコミが煽る目新しいグルメや、一瞬のブームに乗せられてあれもこれもと食べ漁り、結果身体に残るのは、添加物と脂肪とコレステロールという、最悪の結果であることを、営業や開発者は理解したほうが良い。
そんなソフトがたくさんある。それの研修やれと言われると、「作ったやつがやればいい」「作らせたやつがやればいい」とその使いにくさに辟易とするのである。

モンスターカスタマーはほかの誰でもない、店が作りだす」ということなのである。

ICTタスクプランナー

こんな記事を見ました。

https://togetter.com/li/1078786

「何これ儀式?」パソコンでPDFの書類をWordに貼り付ける仕事を頼まれた若い社員さんのつぶやき。

自分は様々な自治体の学校支援を長いことやっている間に、実は笑い事ではなくこう言った事例に出会うこともちょくちょくあり、そういう作業を依頼されることもあります。

私たちは、こう言った場合「これは、PDFをWordにするのが目的ですか?」と聞いてみます。

単にPDFの内容をWordとして保存したいだけだったのに、そのやり方がわからず、画像なら貼れる、しかしPDFや画面を画像にする方法が何も思いつかない、印刷して写真に撮ればいいじゃん!ナイスアイデア!という誰かの頑張った軌跡かも知れませんから、慎重に質問をし、特にその作業に意味がないのであれば、最も効率的に目的を達成するやり方をお伝えすることになります。

もちろんこの手順に何か意図があるのであれば、そこは「なるほど、そうでしたか、失礼いたしました。では作業させていただきます」となるわけですが。


もしも物理的に手順を減らす、時間を節約する、精度を上げる、使い勝手をよくするといった改善できるものであった場合、そこに有料ソフトや機器が必要か、無料でできるのか、さらにその手順を簡単な一枚もののマニュアルにするなど、改善がさらに定着し、習慣化することで効率化が図られます。支援員は本当はこんなことができるのです。

この記事では新人があたかもデジタルが苦手な上司をバカにしたような内容になっています。

新人さんは、なんだこれ?と思っても、上司に逆らわず言うことをきかないと、叱られたり、仕事ができないと思われるのが嫌でそのまま作業に勤しんでしまい、ひどく無駄な時間を浪費するのです。

学校には不便をなんとかしようと誰かが考えた不思議な作業があちこちに隠れています。

また、紙でやるイメージでやっているが故に、デジタルになったことが、気づかずに大変な面倒を引き起こしているケースもあります。

ICTが苦手な、あまり頻繁に使っていないかたでなくとも、その工夫をしようと思って取り組んでいなければ、体が慣れたやり方で、ひたすら時間を浪費して、他の仕事を圧迫しているのに気づいていません。

企業も学校もそこは変わらない。そんな小さな時間の浪費を潰していくだけで、多分ストレスや忙しさを解消できるのではないかと思ってしまうわけです。

ICT支援員は、その名前を変えて、操作を教えたりトラブルシュートをするだけでなく、学校の忙しさを改善する「ICTタスクプランナー」(造語です)になれるのではないでしょうか。

 

ただ、支援員もまだ新人の場合はなかなかこの効率化に気づかないか、言いづらさを感じ、改善を進言することまでできず、この記事の新人さんのように、頭の上に?を浮かべながらひたすら作業してしまうこともあるかも知れません。

逆に、この新人さんがツイッターに書いてしまったように、お客様に向かって良いやり方を提案するものの、バカにしたような言い方になり、仕事をサボりたくて言っているとか、生意気だとか、おかしな地雷を踏むケースもすくなくないのです。

長く居ることで信頼を得ることができれば、どんな上司にも改善を進言できる立場になることもありますが、ほとんどが我慢して、つまらない作業に時間を費やし、それでお金がもらえるなら楽でいいと割り切ってしまうか、別の仕事を抱える場合、時間が足りなくて追い詰められて苦しむかのどちらかです。

今の社員さんや先生同士のやりとりにもそれを感じることがあります。

大切なのは目的は何なのか、それに到達するために必要な最低限の手順を見つけ、改善すべき部分を相手に利益を示し、気持ちやプライドを傷つけない提案ができるか、といったまさにコミュニケーション能力が要求されるところになります。

ICT支援員は必ず必要になる。それは学校でも会社でも家庭でも関係なく。

 

ICT支援員…ICTタスクプランナーはいりませんか?そんな支援員を育てれば、もっと支援員の存在価値は理解されるのではないでしょうか。

 



支援員のキモチ【その2】

どんな仕事も初めての人には勝手のわからないことがいっぱいだ。

それが認知度の低い仕事なら尚更だろう。

務める側もそのサービスを受けるお客様も。

「ICT支援員」この名前は文科省が私たちのような学校現場でICT機器等のサポートをする人につけられた名前だが、未だこの仕事の名前は一律ではない。

「ITサポーター」「ITアドバイザー」「情報アドバイザー」他にもあげたらきりがない。

 私たちのような仕事は主に何か?名前から考えると、「パソコンを始めとする様々な機械のことを何でも相談していい人」といったイメージではないか。現に支援員として派遣された初日に毎度言われたのは、「いやー待ってました。なんでも聞いていいって伺ってます!」だ。

  

自宅のプリンタやネットの設定聞かれたりは日常茶飯事、自宅用に買うパソコンどこのがいい?と聞かれたりもよくした。正直電気屋さんに行って欲しい(笑)と思った。

逆にいえば、そこまでサポートできるのかわからない、スキルがないかもしれない支援員が、苦し紛れにサポートしたことが、大きな問題になったり、誤解を生んだりして、大変なご迷惑をかける可能性だってある。

雑談なのか、業務なのか。大事なのはお互いがそこをわきまえられないなら、明確に判断する術が必要だろう。

 

しかしながら、実は近年そういうご相談がかなり減ってきた。

支援員さんたちからそこまでの苦しみは全く聞かなくなった。もちろん地域にもよるだろうけれど、自分の管轄は、である。

それだけこの数年間で学校には多くの機器が配備されたということだとも思う。

つまり校務につかうパソコン台数が増え、つかう機会も増えたのと、自宅にパソコンがある人がほとんどになったので、パソコンによる事務作業については「通常作業」ということだ。

その証拠にこの夏、私が研修で回った自治体で簡単に質問をしてみた際、どの先生も自分で扱えるICT機器は「パソコン」だった。

だからこそ、「ICT支援員」は機械の操作説明をする人では益々なくなっている。

 

この仕事を長年していて感じるのは、文教向けの機器やソフトは、とにかく使い方が「わかりやすい」を優先している。いや、本当にユーザーにとって「わかりやすい」かはともかく、

●「日本語表記」

●「こどもをテーマにした可愛いデザイン」

●「ボタンを押すだけ」

のように、操作面でのとっつきづらさや、難しさを払拭するのに必死だ。

世の中の一般的なICT技術はものすごく進んで、特にゲーム業界などはデザイン性も備えていながら、幼児でも即座に操作できる。

いや、幼児だからかも知れないけれど。

初心者でも直感的に操作できるが、ユーザーが望むなら高度な設定までさわれて、だめなら不要なものを初期値に戻すなど簡単にできる。ソフトウェアはディスクを入れるだけ。もしくはネットワークでダウンロードするだけで使える。消してしまってもユーザーがわかっているから復活も簡単。

壊れたらサポート窓口に連絡すれば、交換、修理。有償の場合もあるだろうけれど、必要なら支払うし、ダメなら買い替え。

それに対して、学校のICT機器はどうだろう。

どちらかと言うと、苦手な人を意識しすぎていることはないか。これはソフトも同じ。

人間の行動としての、人間の身体の動き、そこに生活する人の動きを、一動作ではなく、流れで理解して開発しているところが本当にあるだろうか。(多少はそのつもりっぽいのもあるけど…うーん…)

ICT支援員は、今や機器の操作説明員ではない。そして修理屋でもない。だが、この二つを網羅していないと、スタートができないようなケースが多い。学校用、文教モデルなどというものは具体的にどんなことを意識して作っているのかといつも感じる。

正直一昔前に比べて、無線機器が増えたので、新しい技術は勉強も必要だが、機械の操作、ソフトの操作は、呆れるほど簡単になった。

支援員経験者であれば初めての機器でも大体当てがつく。それでも先生は「覚えられない」「使いにくい」と口癖のようにおっしゃる。

その実は、「使いたくない」「必要としていない」のではないか。

スイッチの入れ方、設置の仕方、設定の詳細まで知っていても、使ってもらえない。

どんなに簡単な機械を入れても箱から出すことすらしていないことだってあるのだ。

見てくれが可愛いとかボタンが大きいとか、そんな誘導ではない。もっと先生方が何にお困りか。機械抜きで考えてほしい。そして、学校という特殊な環境が、無理なく導入できて、長く使えなくては。

 

では活用が進んで、ICT機器をどの先生も当たり前のように使いたがっている学校は何が違うのか?

支援員の立場でいうなら、実は活用の進んでいる学校は支援員に相談に来る先生のアイデアで成り立っている。

運良く使い始める方がいて、その学校は活性化する。でもその先生一人に頼っていたら、いなくなったらそこで終了だ。

あんまりできの良くない素材でも、いいところを見つけて、なんとか使ってみてもらえたものは、その先生に縋るように、その先生のアイデアを盛り込んで成長して行く。

それによって、一定の地位を得た商品がその界隈でお山の大将になっているのが現状だろう。

 

支援員も同じだ。支援員が提案する前に、先生が使っているそれを見て、支援員は他の先生にご紹介しているケースをよく見る。

メーカーの開発に比べて、丸一日を学校で過ごす支援員は、そういった情報を日々目撃し、支援し、先生の思いを雑談も含め耳にして、持っているデータベースは段違いである。

 

私としては、そういった情報を蓄積して、支援員はアナログでやっている先生の授業のパーツをデジタルに置き換える想像力と、そのメリットデメリットを論理的に説明できるスキルが欲しいのだが、そこまで考えて支援員やってる人が一体どのくらいいるだろう。

私はそういうことを支援員にもっと教えて行きたい。それが今の立場では諸事情で、できていないし、それを今の支援員に要求するには、あまりに条件が悪すぎるのだ。

 

支援員とはその情報という宝を山ほど手に入れられる所にいる特権階級なのだ。

だからこそ、これからの学校にはICT支援員が必要で、その地位や待遇は保証されたものであってほしい。

 

ああ、でも支援員がすべてそんなスキルがあるかって、絶対言えないのが苦しいところだ。

それはお医者さんだって、先生だってそうなんだろうけど。やはり組織的に育成、トレーニング、そして更新が必要なんだろう。

また、こういうことに気づいたメーカーが、単なる情報収集のスパイ的に、安易に支援員を放り込むようなことをしないでほしいと願う。

先生をおだてて研究開発の時間を割かせて、誰が迷惑って子供なのだから。

ここだけは保護者として書くが、うちの子にはこの実験が正しかろうが間違っていようが、この学年は2度と来ないのだから。

 

先生や児童生徒、メーカー、そして社会。

この三つがみんな良い状態になれるような、そんな運用を目指したいものである。

 

 

 

 

 

 

各校活用研修を通して支援員の仕事を確立する

私は依頼のあった学校に、そこの設備と環境と先生方がやりたいことに合わせて、研修をしています。依頼されるシーンも教科も学校によって様々なのでテキストはないことがほとんどです。少人数のときもあれば、50から100名という場合もあります。
そのかわり、ここで必ずメモをとってほしいという所はお願いして書く作業をしていただきます。
昨日は、そこの支援員さんにヒアリングをお願いしてあって、最初は研究授業でタブレットやプロジェクタを活用したい理科の先生に対応する話でしたが、話が進むにつれ、研修に参加したい先生がどんどん増えて、結局20名以上の方が出席してくださいました。
管理職も、全く触ったことがない先生方もいらっしゃる中、一時間半で、Windowsタブレットの基本操作から、最初に依頼のあった先生の研究授業の指導案に沿った、模擬授業までをやりました。もちろん、端折る部分もたくさんありましたが、とても活気のある良い研修になりました。
しかしながら一時間半の研修では操作の時間が多いので、ICT活用の必要性などについては、語り切れない部分もありましたので、運よく、帰りに校長室でお茶をご馳走になった際に、「若い人はどんどん吸収していくんだけど、あそこまでできないかなぁ」とおっしゃる校長先生には、もっと簡単な活用方法をいくつかと、校務や授業時間の効率化について短時間ですがしっかりとお話ししました。
お忙しい時間に玄関までお見送りいただけたのは、とても嬉しく、何回でも呼んでいただいてお手伝いしたいと感じました。

先生方のICTを特に意識しない指導案に、ICTを加えることで、どこがより良くなるか。

私たちは教員ではないですが、「時間」を大切に使う技、記録する技、データを活用する技など、専門的に間違いなくアドバイスできる部分があると思っています。

ただそれが支援員という仕事を、お客様も、支援員本人も理解できていない、確立していないために、存在する意義がぼんやりしてしまっていると感じています。

正直なことを言えば、確立していない、待遇もバラバラな仕事なせいで、支援員さんの品質はひどくバラバラです。

今まで何となく語り継がれてきたり、個々の人間に丸投げされてきた、アドバイスすべきポイント、その効果、提案する際のコミュニケーションの取り方も含めて、言語化して、体系化して、ちゃんとした専門職にしようと強く考えています。

 

今の学校は必要なのか

学校に行きたくないって我が子達は時々言う。
長女はすでに24歳、次女は今年社会人になる。三女は高校2年。3人もいるので、これまで何十回、何百回?そんなイヤイヤがあったことか。
でもその原因は100%友達がらみ。
そりゃそうだよ。毎日毎日同じ人と隣に座って、同じ部屋にいて。家庭ごとに文化も違うのに毎日毎日。誰かに何かされてなくたって、今日は話ししたくない、考え事したい。人間だから健康状態だって影響するし、わけもわからず落ち込んだりもする。でも毎日同じ顔と付き合わなくちゃいけない。
意地悪されてないけど、友達はこちらの都合に関係なく、ニコニコ話しかけてきたり、無闇に絡んで来るわけで、そんなのその子が悪いんじゃない。その子だって今日はなんか意地悪しちゃうこともあるだろうし、話しかけたら振り払ってしまうこともある。理由なんてわかれば苦労しない。
ということで、今朝は「学校行きたくない!クラスの子はしつこくてうっとおしい!」なんて言ってぐずぐずしてたので、車に乗せて話をしながら駅まで行って落としてきた。

「まあ、行ってきなさい。休み時間は音楽でも聞いて構われないなように寝てなさいよw」と。
今日何か良いことがありますように。明日けろりとして学校に行きますように。

こんなことがいつ起こるかもわからない。もっと深刻な時もあった。このまま学校に行かなくなったら…と思うこともあった。

学校って、クラスって、決まった座席って、本当に必要なのだろうか?

日本の不登校児は今や12万人超だって。もう不登校が珍しくもない。市民権を得そうだ。

無事卒業をしているからって、不登校の子ども達とうちの子達はどこも違わないってことを改めて認識する。

学校は必要なのか?なぜ必要なのか?

 

支援員のキモチ《その1》

支援員、その名前はとても便利。ユーザーにとって。

「支援」→「お手伝い」。しかし、ICTの意味が「パソコン」「機械」というイメージのせいか、電気が通っていれば全部…みたいな街の電気屋さんか!というような中身の相談がくる。

これを個人で本当の意味で完璧にやるのは、はっきりいって無理だ。

でもこう言うと、これを「私はやっているよ!」とおっしゃる個人支援員さんが実際に何人もいる。やっているけど、それは多くの場合大変な負担と無理難題ばかりで、身体的にも精神的にもストレスは半端ないだろう。しかもその業務内容に対して低賃金の場合が多い。

「毎日こなしている」イコール「無理じゃない」なんて決して思わないでほしいのだ。

それは雇う側も、支援員自身もだ。

まあ、とはいえ支援員全員がこんな状態なわけじゃなくて、極端に逆の場合もあるので、誤解のないようにお願いしたい。

そちらの話はまた別途。

 

さて、私のお客様でも、ヘルプデスク、保守の契約をきちんと結んでおられるところは、支援員の仕事に、物理的に時間のかかるハードの修理や、ソフトウェア・システム等の障害時に原因の究明から最後まで治す作業などは通常伴わない。

しかし今、この大変な「支援」→「ほぼ修理屋」をやってる支援員さんは、これ以外にもExcelでソフト作ったり、先生の代わりに文書作ったり、その上授業の支援、教員研修、情報モラル、校務システムのお世話…びっくりするほど文科省の言うところの「ICT支援員」とは違うマルチプレーヤーとなるのだ。

文科省の言う「ICT支援員」は周りにSE、CE、営業、ヘルプデスクなど、その他サポート体制があって初めて成り立つものだ。

だからって私のところが全て網羅してるかっていうとそんなこともない。現場っていうのはそんなに単純ではなく、いろんなケースがあるだろう。

 

支援員の話となると表に出てくるのは、「先生のお役に立てて嬉しい!」「子供達の笑顔が元気をくれます!」などという言葉が踊り、爽やかな感じの支援員さんの笑顔の写真で飾られる。確かにね、確かにそうだ。私も任務終了の日に今まで授業支援でお手伝いしてきた幼い子供達が、「今までありがとうございました!いがらしさんが教えてくれたからできました」なんて素敵なお別れのお手紙や作品をパソコンで作ってプレゼントしてくれたりして、何度となく涙した。確かに楽しい。やり甲斐はある。きっと多くの支援員さんがこれを体験しているだろう。

しかし、ここでは感情論ではなく、もう少し冷静に「ICT支援員」を本当にこれから学校に必要な仕事として見た場合の話をしたい。(続く)

コミュニケーションってなんだ【その1】

コミュニケーションに関する講座をやると、必ず受講者はいくつかに分かれる。それは、「あー知ってる」という顔をする人と目の色が変わる人。どんな講座でもまあそうだろう。
最近はちょっとヒントがあるとすぐググって予習。そして先に情報を探しておいて安堵する。そういう人は調べた時点でもう「知ってる」と思い込む。最近コミュニケーション能力は必要だ必要だとあちらこちらで言われているから、まあやむを得ない。

 

コミュニケーションスキルを磨きたい、もしくは部下にコミュニケーションスキルをつけさせたいといいつつやってくる意識高い系、そういった人は勉強熱心なので、あらかじめコミュニケーションについて、サクッとググってきたりする。そんな知ってる派の方々に多く見られるのが、とても自分は陰ながら苦労していて、周りからの理解が得られないと感じているという人。

そして、自分自身はある程度、いやかなりできていると思っている。
さらに不思議なことに、周りからの理解が得られないと感じている人の多くは経済的にも不満があるケースが多い。
貧困なわけではなく、実はそれなりに安定した職についてたり、安定した家族に扶養されてたりすることもしばしばだが、割りが合わないと感じている。

そしてとても人に気を使う。一見ほんとうに謙虚。でも実はプライドが人一倍高い。自分こそが1番正しい。不満のある自分に酔っている。

あなたはどれかに当てはまらないか?

 

もっと正直になるためには、まずは自分を知り、自分を認めることからだ。あなたは自分が思うほどかっこよくない。あなたは自分が望むほど「マイノリティ」ではない。だって人はみんな結局違う人なんだから。

誰かの作ったグループ分けに則っているだけ。
完全なるマイノリティなんてそうそうないのだ。「マイノリティ」であることを卑屈に思う一方で、「特別な存在」として「稀有な存在」として、持ち上げるのは簡単だ。
しかし多くが単に「ある要素」については少数派というだけだ。仕事もそう、どんなに一人ぼっちで戦ってる自分を妄想しても、大概自分なんて替えの利くちっぽけな存在だ。

今の自分がこの地球上で大して特別でない、ヒーローでもヒロインでもないがっかりに向き合ってから、初めて既成概念にとらわれない自分を主人公にした物語を妄想してみよう。

「知らない」ことを「知りません」と言えたら必ず今までとは違う「自分」がみつかるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「コミュニケーションスキルを上げる」

Performance Assist RAnA

五十嵐 晶子