コミュニケーションってなんだ【その1】

コミュニケーションに関する講座をやると、必ず受講者はいくつかに分かれる。それは、「あー知ってる」という顔をする人と目の色が変わる人。どんな講座でもまあそうだろう。
最近はちょっとヒントがあるとすぐググって予習。そして先に情報を探しておいて安堵する。そういう人は調べた時点でもう「知ってる」と思い込む。最近コミュニケーション能力は必要だ必要だとあちらこちらで言われているから、まあやむを得ない。

 

コミュニケーションスキルを磨きたい、もしくは部下にコミュニケーションスキルをつけさせたいといいつつやってくる意識高い系、そういった人は勉強熱心なので、あらかじめコミュニケーションについて、サクッとググってきたりする。そんな知ってる派の方々に多く見られるのが、とても自分は陰ながら苦労していて、周りからの理解が得られないと感じているという人。

そして、自分自身はある程度、いやかなりできていると思っている。
さらに不思議なことに、周りからの理解が得られないと感じている人の多くは経済的にも不満があるケースが多い。
貧困なわけではなく、実はそれなりに安定した職についてたり、安定した家族に扶養されてたりすることもしばしばだが、割りが合わないと感じている。

そしてとても人に気を使う。一見ほんとうに謙虚。でも実はプライドが人一倍高い。自分こそが1番正しい。不満のある自分に酔っている。

あなたはどれかに当てはまらないか?

 

もっと正直になるためには、まずは自分を知り、自分を認めることからだ。あなたは自分が思うほどかっこよくない。あなたは自分が望むほど「マイノリティ」ではない。だって人はみんな結局違う人なんだから。

誰かの作ったグループ分けに則っているだけ。
完全なるマイノリティなんてそうそうないのだ。「マイノリティ」であることを卑屈に思う一方で、「特別な存在」として「稀有な存在」として、持ち上げるのは簡単だ。
しかし多くが単に「ある要素」については少数派というだけだ。仕事もそう、どんなに一人ぼっちで戦ってる自分を妄想しても、大概自分なんて替えの利くちっぽけな存在だ。

今の自分がこの地球上で大して特別でない、ヒーローでもヒロインでもないがっかりに向き合ってから、初めて既成概念にとらわれない自分を主人公にした物語を妄想してみよう。

「知らない」ことを「知りません」と言えたら必ず今までとは違う「自分」がみつかるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「コミュニケーションスキルを上げる」

Performance Assist RAnA

五十嵐 晶子

 

 

ICT支援員をもっと活用するために

ICT支援員さんは私のみている範囲で現在30数名です。一時期40名を超えていましたが、増員されるため、その時の半分を今年度頭に、新しいリーダーに移管したので、少し少なくなりました。

楽になったかと言うと、ベテランさんを移管したので、負担は決して軽減していませんが、新しい自治体を見ることは、新しい発見があり、自分にとっては非常にモチベーションが上がります。

機器やソフトについて、支援員はどんなものにも対応しないといけません。

さらに、それは、委員会のどの部署が導入したか、学校予算で購入したか、はたまた別の予算で導入したかなど関係ありません。

お客様から見れば、どの機器も同じなのですから。

そう言う意味では、ICT支援員は、とんでもない範囲のICT機器、ソフト、システムに対応し、さらにコミュニケーション能力やインストラクションのスキルまで要求されるのです。

それでも支援員は良くて一校にひとり。

私の管轄では一人で10校以上担当する人もいます。もちろん優秀な人を入れていますから、その記憶力はすばらしく、どの学校でどんなニーズがあったか、どんな障害があったかなども支援員さんに聞くのが1番早いです。

歩くデータベースですね。

そんな支援員さんの報告書がデジタル化されていますが、そのデータは非常に貴重です。

支援内容を分析していくと、一年の中で、校務システムの支援時間が長い時期、授業支援の時間が長い時期、とても波があるのがわかります。

支援を特に必要とされる時期や内容を見ると、そこが自動化されたり安定稼働すれば、学校は随分変わるんだろうなと毎年感じます。

支援の記録をかつて徹底的に分析したことがありました。しかし、ここ2年くらいはそれをやる時間がとても取れません。分析する人がいた頃もありましたが、綺麗にグラフ化されたものを見ても、「これじゃない」感が満載で、私からその方に「こう言うデータが欲しい」と伝えることもあまりできない立ち位置だったので、生データから自分で割り出すことも多々ありました。やってくれていた方には申し訳ないのですが、学校支援を知らずに分析はできません。

また、このデータも入力してくれる支援員さんに負担が大きかったり、書き方が曖昧だったりすると正しいデータが得られません。

歩くデータベースの支援員さんから、もっと効率よく、正確なデータを取得するための報告書システムが欲しい。あれこれ見ていますが、これだ!というものにまだ辿り着けません。宝の持ち腐れにならないように、今年はデータ分析にも着手できればと思います。

200日放置してしまったので…やっとスタート

ブログやろ。

って思ったのは、facebookではどーも長文になりすぎて、書いてはやっぱりやめて、その長文をメモに貼り付けしまいこんでいたから。

しかし、昨年の自分の頭の中は日々ひどく変わっていったので、書き溜めたものを吐き出すのもなんだか恥ずかしい。

なので、新たに今日から書いてみる。

テーマは機械の話というより、コミュニケーションについて…かな。

雑感ですよ

関係ない業界の人が他の業界を見て意見を言う方が、全くもってまともだったりするのは、如何にその業界にいると思考がその世界の中だけに押し込まれていってしまうかということだ。
いつの間にかこれは無理、これは出来ないという制限にどんどん自ら縛られていってしまう。その業界の仕組みを知れば知るほど。
だから改革に燃えても、はじめにその仕組みありきで、それを変えようとするから、ほとんどの人からは、その業界の理屈にあっている改革しか受け入れられないことが多い。
特に教育業界はビジネスと相反する要素がとても多いと感じる。精神論や根性論?かな、気持ちの問題が根強くそこに蔓延っており、(ビジネスの世界も取りようによっては根性論っぽいこという人もたくさんいるんだけど)夢だの希望だの愛だのということがとても美しく描かれがちだ。
しかも報われないことが長く続くと、裏技を探し始める。そういう人はある意味良いカモだ。

そうやって世の中回ってるっちゃー回ってるんだけど。この辺の話はまた別に書いてみたい。