思考することと習うこと

昔まだ子供が幼稚園くらいの頃、自宅で毎年スポンジケーキを焼く教室をやってたことがある。

近所の会話で、クリスマスケーキが作りたいけどうまくできないという話題から、自分は10代の頃から自宅でクリスマスケーキは私作で、スポンジケーキは自信があったので、ひとりの人に教えたら、口コミでそのまま、うちで教室をやるようになった。化学系出身の自分にとって、お菓子作りは特に化学だよねーと思っていたので、手順を教えながら、「なぜ、こうするのでしょうか?」みたいなことを語りかけ、スポンジケーキがうまくいかない原因を参加者に考えてもらったりしながら作って、参加した人は間違いなく膨らんだ綺麗なスポンジケーキを持ち帰って満足してもらえた。スポンジケーキの手順なんてそんなに数がないので、考えたりなるほどと思ってもらうポイントは少ないから、みんなすぐにマスターし、参加者はみんなその後の試食も楽しんでいい教室だったと思う。

しかし、手順やコツを理解するのではなく、近所でなくてネットや、口コミで「レシピだけ入手した人」が結構失敗して電話がきたりした。写真をつけていたものの、泡だて具合が伝わっていなかったり、こんなもんでいいか?という感覚の差もあったが、よくよくきけば、ほとんどが砂糖の量を見て驚き、甘さ控えめにしたくて砂糖の量をすごく減らしたとか、レシピに書いていないものや操作を追加したり「オリジナリティ」を発揮していた。クリエイティブはオリジナリティだと思っている人が多いけれど、成功事例の理屈を理解し、完璧にトレースできないのに、オリジナリティと言う名の根拠のない端折りや改変は失敗に繋がることが多い。料理のレシピを人にあげると度々思うのは、一回でいいからそのまま作って見てほしいということだ。トレースして、成功を体験しないと、そこでやめてしまうか、オリジナリティに走ってもう道ができているのに、試行錯誤のスパイラルにはまる。

さらにたちが悪いのは、それをレシピのせいにしたり、私に文句を言ったり馬鹿にする人すらいたことだ。私自身は失敗したことがもう何十年もないし、子供達も真似して作ってるので、百発百中だから、別に揺るがないけれど、いい気持ちはしない。

プログラミングは、これまでの手順というのを使うなら、一度成功体験をしてからでないと、ただただ時間の浪費になると思う。初めて経験する人が、試行錯誤を楽しめる環境というのは、実は裏側にものすごい準備があるからできるので、それが準備できていないのに、迷子になりまくって困ってるのを黙って見てるなんてできないのだ。2年くらい前のプログラミングがこんな感じだったので、もやもやしたのだけど、今年はかなり試行錯誤の環境が整ってきたのかなと思う。だから、今までプログラミングをそんなにやってなかった人たちでも、指導者側に立てるようになってきたのかなとも思う。

かくいう素人の私も今年はますますプログラミング研修の依頼が目白押しだ。参加した人が成功体験をして、次にオリジナリティを発揮できるような研修は本当に難しいけど、自分がどのくらいやったかがやはり大切なのだと思うと、ケーキと違い、プログラミングは全然トレーニングができていなくて毎日焦るばかりだ。

あなたは本当に学校にありがたいサポートをしているか?

今朝LINEの保護者グループの話を、Facebookで少しした時に思い出したのは、かつて一緒に働いてた若いお母さんが、子供を産んで保育園に入れたかったけど、抽選に漏れて入れられなくて、でも仕事やめられなくて、とりあえず幼稚園に入れたものの、そこは会社では働いてないお母さんばかりだったため、お母さんたちの輪に入ってもうまくいかず、暴力まではいかないものの、子供に当たってしまったりして、すごく苦しんでいたのを思い出す。

ただ、彼女は、お子さんにトラブルがあった時は仕事を休んでも、ちゃんと対応していたし、(休むとなると大変だったけど)日頃こういう仕事をしているので、幼稚園の先生への気遣いはしていたと思う。一生懸命育てていた。それで十分ではないのかとも思った。

自分も役員やったり、授業の補助したりしたことあるから、保護者も学校をサポートすべき的な考えも理解するけど、働く母として感じるのは、学校をサポートするっていうのは、半端に先生の真似事をしろってことではないし、先生にアドバイスと称して自分勝手な要求をするのとは違うんだよと言いたい気もする。親は子どもを自分の責任で育てる代わりに、自分の好きなやり方で育てられる。もちろん、人権的な意味ではダメなやり方はあるだろうけど。働くために、子育てまで学校や幼稚園に委ねるなら、そこに個人の好みは反映されない可能性があることは理解すべきだと思う。40人の子どもを相手に最低1年間やってみたらいい。家で数時間10人程度の子どもを預かれたくらいで、教育ができると思ってはいけない。何人子どもを産んだってそれとは違うのだ。もちろん逆もまた真なりで、ベテラン教師が良い親になるかなんて保証は全くない。

チーム学校なんて、宗教戦争が起きそうなくらいの覚悟をしなくては、能天気に取り組んで押し付けのサポートなんてお互い迷惑でしかない。なぜなら役割分担なしに、人だけ放り込むからだ。臨機応変は必要だ。でも人のうちの台所が使いにくく、他人に台所に踏み込まれたくない、あの感覚はそう簡単に払拭できないだろう。やるなら完全に再構成したほうが早いと感じているのだが、どう再構成するかの具体案がここで示せないのでは、私もただお茶の間でぐだぐだ自論を展開している人と変わらないな。と書きながら反省している次第だ。

プログラミング明日会議から私の明日

昨日のイベント「プログラミング明日会議」について久しぶりに時間ができたので書こうと思う。

6月16日(土)、新川の内田洋行本社ビルで、みんなのコード主催の「プログラング明日会議」というイベントがあるよ、と営業の人から聞いて、運良く日程が空いていたので申し込んでみた。会場の手伝いではなく、参加者として。そのほうが自分には良い。

会議の内容は、文科省の方の「プログラミング教育」に関する講演から始まり、授業で様々なプログラミングに挑戦した先生方の実践報告。これも決してみんなのコードの宣伝ではなく、「micro:bithttp://microbit.org/ja/を使った理科の授業事例と、もうお一人は主に「PETS」というプログラミング教材https://4ok.jp/pets/の実践事例だった。

その後には、自社製品だけでなく、他社の商品の紹介と体験会があって、新川本社ビルの他の階に、体験できるスペースを設けて、参加者グループ毎に、ツアー形式で回った。

内田洋行本社ビルなので、7階にあるフューチャークラスルームの実演と、最近うちの商材になったSONYの「MESH」http://meshprj.com/jp/

LEGOなども簡単に紹介があった。これは、今年私も研修をいくつかやるので、レポートはまた別の機会に。

そして富士電機の「動かしてみよう!」というプログラミング環境とロボット体験、そして、みんなのコードとして、杉並区立天沼小の校長でいらした、福田晴一先生が自らmicro:bit体験を担当された。何より先生方のカジュアルな姿が新鮮だった。

 

このツアー型の展示は以前お邪魔したみんなのコード主催のイベントならではのやり方だなとその時のことを思い出した。海外の医療機器展示会なんかはこの形式だ。全ての展示ブースに、参加者全員にアピールする機会を与えるとともに、見る側も選り好みして、新しいものを見落とすリスクを軽減している。私は個人的にこのツアー形式は好きだ。時間が長い展示形式の時は、あとでもう一度そのブースを見に行くこともできるし、誰かが長時間独占して説明を聞き損ねることもない。今回は短時間でのツアーのみだが、さわりがあれば、後は調べればいいことなので、出会いが多い方が良い私にはありがたかった。

 

ツアーから元の会場に戻り、最後に、みんなのコードの提供している「プログル」https://proguru.jpの紹介と体験会、そして利根川代表の講演があった。

「みんなのコード」のイベントなので、このブログでは、この「プログル」について書こう。
みんなのコードというと、以前から知っている人は「アワーオブコード」http://hourofcode.jpを思い浮かべると思う。しかし、子どもや保護者向けのプログラミングイベントとは異なり、先生向けイベントは、実践事例発表だけでなく、様々なプログラミング教材や環境を提供するメーカーとの出会いの場でもあり、私もそこで出会ったものもいくつかある。

しかし、ここ最近、みんなのコードには、現場で教鞭をとっておられた先生方が参戦しはじめた。そして独自のコンテンツを作っている。それが「プログル」であり、またもう一つ、「プロカリ」というサービスも。https://procurri.jp

 

あくまで個人的な感想なのだが、リリースが早い、実行が早いのが今時の起業家らしいとも言える。とりあえず出してしまう。コンテンツが少なくても。私はそのスピード感が良いと思う。他社とのコラボレーションも早い。分け隔てがない。情報が多いらしいが、私は先生ではなく多くの現場を支援する人たちを支えるため、個人的には情報はいくらでも欲しいし、あくまで、私の仕事の仕方の性格上「いいじゃん」と思う。


実は、みんなのコードに参加した先生方の中には、偶然だが私自身がお仕事で関わった方がおられる。プログラミングというと、算数の「多角形の描画」が良く話題になる。これをみんなのコード提供の「プログル」で提案する竹谷 正明先生だ。
今はみんなのコードで、指導者養成主任講師としてご活躍されているが、つい最近までは小学校の先生でいらした。私の竹谷先生との出会いはもう5年ほど前になる。

まだ小学校勤務だった、竹谷先生の自治体に、iPadが導入されたのが今から5年前。その経緯やその時のことはそれはそれは鮮やかに覚えている。その話は非常に長くなるのでここには書けないけれど、その時まだタブレットを活用することに戸惑いを隠せない現場を救ったおひとりが竹谷先生だと思っている。私はその竹谷先生の小学校の担当ICT支援員兼、教員研修と支援員のとりまとめ役だった。私自身が当時非常にiPadが好きで、個人で使いまくっていたのもあり、iPad導入時にも深く関わったおかげで、大変多くの経験をさせていただいた。
短期間で交代を義務付けられていたので、担当支援員自体は1年で交代したが、その自治体の支援コーディネートをずっとつとめている。

プログラミングが盛んに話題に上がるようになった頃、竹谷先生が現場で算数にiPadでプログラミングをとり入れた公開授業をされるということで、当時の担当支援員さんととともに伺う機会をいただき、協議会にも参加させていただいた。ここで実践されたのが多角形の描画だった。メインゲストはみんなのコード代表の利根川氏だった。

あの当時竹谷先生は小学5年生でも、算数の学力が高い、少人数のクラスにこの多角形の授業の試みをされていた。公開授業の時に使用したのは、scratchベースのiPadアプリ「ピョンキー」(App名: ピョンキー、デベロッパ: SoftUmeYa)で、この授業を実践された。

その時にはまだプログルは当然生まれていなくて、この自由度の高いアプリで、実践者も少ない中、児童にその使い方から丁寧に教えられて、授業があっちこっちに行ってしまわないよう、ずいぶん工夫されておられたのを覚えている。それはなにかを制限するというよりも、子供達が課題に興味を示して取り組むような導きがあったからだと思う。できすぎる子が退屈したり、できないからとふてくされることなく、ずっと楽しそうにチャレンジできたのは、竹谷先生の授業力に他ならないだろう。

プログラミングを授業に取り入れる試みはその前にも別の自治体などで少しだけ始まっているのを知っていたけれど、まだ数が非常に少なかったころだ。

子供達にiPadだけをひたすら触らせるのではなく、時には先生自身が被り物をしてキャラクターになりきり、子供達に間違えたポイントに自ら気づかせる工夫や、黒板の隣には大きな電子黒板、反対側には小さめだが実物投影機と繋がったモニタも駆使して、それまでに多角形の基本はしっかりと教えた上で、教科書に載っていない形まで広げて、作図してみることを手書きでなく「プログラミング」によって実現していると感じた。

当時はさすがにこれだけの準備と様々な機器を操作しながらは、かなり使い慣れていなくてはできないと思ったけれど、プログラミング自体の取り組みは、支援や教員研修が仕事の私に、この価値を説明するのに十分なエビデンスがもらえたと感じた。

動画が鉛筆と定規、分度器、コンパスで書くのだとしても、その方法でなぜ書けるのか?を理解しなくては意味がない、ただの手先の訓練だ。しかし、いつも感じるのは、ICTは、その手先の器用さや道具の良し悪しを加味せずに、頭で想像したこと、論理的に考えたことを実現、検証するために活躍する。これは時が過ぎても未だやはり変わらない。コンピュータは人にできないことができると確信できる。

 

「明日会議」では、実際に児童の立場になって、竹谷先生の模擬授業を受けたが、初めてみたときの実践から比べると、日本中を飛び回って鍛え上げたその授業はかなりパワーアップしていた。当時少し疑問に思った部分も、指導案でわかるようになっていたし、何より今は「先生」でなく、プログラミングで授業を良くするために、そのために作ったものを伝える立場として、オーディエンスが欲しがっているものを的確に与えていることは、「先生」であった経験を良い意味で活かしながら、そこはビジネスとしてニーズに応えていると感じた。

たくさんの方がお話しされたが、今回一番眼が覚めるようなパフォーマンスだったと思う。

プログルは、ある決まったテーマをプログラミングで解決、発展させるための教材だ。

竹谷先生の実践が背景にあるからこそのあの多角形のプログルには命が宿っていると感じる。

なにしろ、環境に左右されずネットワークさえあれば、スマホでもパソコンでも、問題なく動作する。サイトも軽い。そこだけでかなり差は大きい。そこは本当に各社見習って欲しい。軽さと確実性。それだけで先生は安心する。

常日頃展示会や、支援している学校に持ち込まれる様々な教材には、本当に様々なものがあるが、それらには命が宿っているものと、そうでないものがあると実感する。竹谷先生のお話は素晴らしく分かり易かった。さすが、国語専門の先生でいらっしゃる。本当にわかりやすい。そんな竹谷先生が何度も何度もやってみてブラッシュアップしたからあのプログル多角形コースがあるのだろうと思う。

しかし、あの教材から、添付された指導案からその授業でやることを読み取りきれない、またその現場を見に来ない業者には、真似したものを作っても命が宿らないように思っている。まるっと指導案ごとコピーすることがない以上、そこの意味をわからなければ、変えてはいけない部分を勝手に変えてしまうかもしれない。また、現場への説得力に欠けるかもしれない。

なので、現状プログルは、登録なしで無料、指導案やワークシートもダウンロードできる大変使いやすいサービスだが、竹谷先生のデモを聴くことで使い方から目的も知ることができた。

コースを最後まで体験すると、自由に作図してみるコーナーがある。そこで、サンプルにあった、「45角形」という課題は、なぜ45角形なの?というところがはじめ私にはわからなかった。そこには、多角形の1つの角の大きさと角の数の関係を考えた時に出てくる、掛け算の左右を入れ替えるような子供の純粋な発想から生まれるものなのだが、それは先生のご説明があって、ああそうかとわかった。

この子供のひらめきとチャレンジから、多角形の辺の数を増やしていけばだんだんと円に近づいていくということに気づくきっかけになるのだが、あくまでそれは毎回起こることではないだろう。

 

多くの実践を積んでブラッシュアップされたデジタル教材は、ともするとそのやり込んだ先生が機能を盛り込みすぎて誰も使えなくなってしまったり、シンプルだとしても使い方の細かいところで属人的なものに左右されてしまう恐れがある。

そういった意味で、今回後半のプログル体験会は、指導案と教材のみならず、竹谷先生のこの話が付いてきて初めて響くものがあるため、ひとつひとつの意図がユーザーにわかるような、動画をつけるとか、何か捕捉が欲しい気がしたのも確かだ。ただ、動画には情報が多すぎるため、取り違いや揚げ足取りもあるだろう。

scratchでできることをなぜプログルにしたのか。そこが現場を慮ってのことだと、しっかり伝わるものなら、無駄に叩かれることもないだろうけれど、そこを冷静に見られる人ばかりではないと思う。

ただ、支援する、やらなければならないと困っている先生方に、例えばコンピューターで作図をすることで、手では時間的にも技術的にも書ききれないものを体験できることがコンピューターで、プログラミングでやってみるメリットであるという気づきを先生方に見せられれば、そこから、どの教科でも何かその価値を示せると感じた。ただ、その教材研究は、今の先生方には時間的に厳しい。そして、今アナログでやっている授業を越えることを説明できるものでないと、ほとんどは受け入れてはもらえないだろう。

「プログル」のような教材に頼るだけでなく、こういったものからヒントを得て、自分がこれからやる単元で、子供達により多くの発見や体験を与えたいと思った時に、私たち支援をする者はそれを形にする手伝いがしたい。

簡単なことではないけれど、手がかりがないわけではないと思っている。

自由度の高い、しかもコーディングするより比較的簡単に組めるブロックプログラミング環境は、そういった現場のニーズに応えるには良い道具だと改めて思った。

 

 

さて、この会に参加して、帰りの特急の中で私も「明日」のことを考えていた。ここからは今の自分の頭の中だ。

教員に安心感を与えられるかもしれない、教材の提供、情報の提供がされはじめた一方で、子供達はどうか?

プログラミング教育をこれから学校で取り入れていく際に、先生にはこうしたサポートが数多く出始めた。子供達はどうなのか。学校ICTを支援してきた身として、子供達は、授業で理解を深めたり、たくさんの体験を短時間で実現できたり、友達と考えを共有したり、そこには、あくまで授業における目標が優先で、「プログラミングは目的ではない」が実現されているものがある。(モーレツに突っ込みたい人がたくさんいそうだが、ちっぽけでなんの力もない個人の意見だと見逃してほしい)これで先生は少し安心できるかもしれない。

もっと使いやすくなっていけば、「効率化」にも大きな貢献をするはずだ。プログラミングで新しく得られるものの一部をみんなに示してくれるのだから。

限られた環境で目標に到達するために必要なツールだけに絞って学習する。それが今の学校ICTだ。

でも、本当は子供はもう生まれた時からこれらに囲まれて生きてきている。

今ブームとも言えるプログラミングやデジタルの子供向けコンテンツやイベント、塾などは何をやっているか先生方はご存知だろうか。

そしてその主催者たちは、子供をどうしたいからやっているのか。いや、保護者は何を求めてそこへきているのか。

 

ひとりの親として、学校は生きていくために必要な基本的な教養を身につけて、より幅広い選択をできるように社会にある様々なことを知り、体験できるところであってほしい。でも、ICTは新しすぎて速すぎて、本当のところは誰も教えられないんじゃないかと思っている。

ただ、長年ICTと共に仕事をしたり楽しんだりしてきて、ちょっとだけわかるのは、「ICTはこれが得意だから、原理的には多分こんなことも可能なはず」という感は養えるということだ。

先生方がより効率良く、今まで不可能だったことを実現するためのICTとは別に、子供達が手に入れるICTの恩恵は何なのだろう。

もしかすると、それは見知らぬ生き物を捕まえてきて飼ってみるような、そんなことかもしれない。じゃあ子供達は好きにさせればいいのか?と言えば否だ。先生は見知らぬ生き物を子供が連れてきてしまった時、とにかく一度離して、それが暴れないように隔離し、調べて、扱い方がわかって危険が少なければ、飼育することも考えるだろう。すでに近くで遭遇するかもしれない生き物については、危険なものはあらかじめお便りを出したり張り紙や学活などでお話をするだろう。保護者だって我が子を守るために、その生き物の生息地や、何をしてはいけないかくらいは興味を持つだろう。(持ってほしいよ…)そんな風に、子供たちと一緒に体験し、育ててみて一緒に学べるのは、生き物や植物の以外では多分どの分野よりこのICTだと思う。先生がプログラミングを、ICTを楽しめることは悪いことではなく、生き物と同様、はっきりわかっている危険からはあらかじめ防御し、止めすぎてはいけないんだと思う。窓から蜂が入ってくるかもしれないから、窓は絶対開けないなんてあるだろうか。でも逆に体験した方がいいからって、教室中をジャングルみたいに草生え放題、生き物放し飼いにするだろうか。そう考えて、やってみてはどうだろう。保護者も責任感を持って参加して、理解して。

一方的に学校に保育と教育を押し付けるのではなく、自分の価値観と都合だけを押し付けるのではなく、一緒に学ぼう。まだまだ学ぼう。

そんな風にICTと共存できる学校であることが理想ではないだろうか。

妄想が膨らみすぎて、イベントレポートから飛躍しすぎたかもしれないけれど、今私が思うICTの明日はこんな感じだ。

 

 

 

 

 

お金のことをちゃんと学ぼう

あんまり流行りの話を自分でどうこう書かないほうだけど、例の制服の話は当事者が考える話で、SNS乱暴に攻撃する必要は私にはない。でも、まあ今時は炎上しがちなネタだとは思う。この話を聞いた時一番最初に思い浮かんだのは自分自身のことだった。

自分自身の小学校が制服だったから、色々思うところはあるのでちょっと思い出話も交えて書いてみようと思った。ちなみに我が子はみんな神奈川の公立なので、小学校は私服。制服になったのは中学からで、あまり裕福な地域ではないので、学校のバザーで制服リサイクルもある。


私が通った学校は、男子は半ズボンに学生服みたいな上着で、帽子も独特の形で赤いボンボンみたいな房?がついてたから、低学年の頃は小さくて細っこい子は可愛らしかったけど、成長して5年生くらいになると、かなり大きい子は、なんか足がやたら出てる感じがして、半ズボンもピチピチ。ランドセルも小さく見えて、半世紀近く経っても、子供が魔法で大きくなったみたいなアンバランスさが、未だ私の脳裏に焼き付いている。
女の子はジャンパースカートで、帽子も形はごく一般的なポーラーハットだったが、肩のスナップを三つもとめるので、当時から色々しょうもない子供だった私は、うちでそんな訓練してないので、背中側にぺろんと垂れてしまうジャンパースカートの肩の部分が捕まえられず、犬が尻尾を追うように毎度くるくるして、笑われ、親に恥をかかせていた。
制服ネタだけでも本が書けそうなくらい思い出はある。
ランドセルが黒くて近所の子に「男のランドセル」と冷やかされたこともあった。


制服には夏服もあった。夏は白い帽子に水色のワンピースで、一番の思い出は、池袋が遠足の集合場所に良くなったのだけど、そこの蛍光灯??の光に当たると、染料のせいだろう、ワンピースが紫がかった感じに光るのが面白くてそのことばっかり気にして、ずっとそこにいたくて、遠足はどうでもよかったこと(笑)


親は子供のことを思って学校を選べるくらい、学校だらけの地域だったから、当時色々奇行が多かった私をはみだしても良いように、と受験させた親には感謝している。勧めたのは祖父だった。いい読みだったと思う。私から見ても変な子だらけ(失礼)で、いい経験になった。あそこにいたから自分の特性がよく分かったとも思う。

 

当時の保護者たちのことも実はよく覚えている。
まず親御さんの職業。それをなぜ小さかった私が覚えてるかと言うと、その子供自身が言ったり、学校帰りに母親たちが集まるレストランがあって、そこによく行っては、お母さんたちの話をそばで聞いていたからだ。お父さんの仕事や立場がひとつのステータスなのはきっと今も根強い価値観として日本にはあるだろう。

お母さんのことを私は「ママ」と呼んでいたが、「お母様」「マミー」「おかあちゃま」と呼ぶ子もいて、それもよく覚えている。

親御さんたちに言いたいのは、お家の中の様子は、どんなに外で取り繕っても、子供からダダ漏れなので、気をつけた方がいいということかな。

 

「うちのパパはお医者様だから、私も東大医学部にいくの」などと、1年生の頃から言ってる子も少なくなかった。弁護士さんの息子さん、社長令嬢、官僚のお孫さん、そういう子がかなり多かった。おそらくお金になんか困ってないちょーセレブなお家ばかりだったのだろう。うちのような、比較的普通の家庭の子供は、クラスで自衛官の娘の私と、仲良しだった区役所職員の娘さんだけだった。
レストランでの親同士の会話も、今考えたらスネ夫のお母さんがいっぱいみたいな感じだったな。面白い話がたくさん聞けた。


しかし、うちの母とその仲良しの子のお母さんは、2年生の中頃にはその集まりには行かなくなって、お互いの家でお茶したり遊ばせたりしていたように記憶している。当時は民間の方がお給料が良かった時代だから、さすがにうちはそこまで金持ちではなかったはず。

 

しかしながら、そんな中なので、制服の値段の話なんか出ない。
私の学校は当時は制服だけでなく、体操服、上履き、ランドセル、手提げのカバン(色がクラスカラーで統一されていた。)ふでばこ、鉛筆、ノートなども指定だった。一体いくらかかったんだろう。今度聞いてみよう。

 

でも、そこにいる人たちは、そこに行かせたいから来てるので、母も友達の親との会話で、そこにどうこう文句を言ってるのは聞いたことがない。そのくらい、その学校の教育や環境は魅力的だった。今振り返っても自分自身あの学校に行ってよかったことがたくさんある。

 

そんなこともあって、私的には、件の学校も、選んで入る学校であるため、入りたい人が入るのだから、どうでもいいなと最初は思った。
すでに入学してる親御さんは、サイズのせいで買い替えになったら、高くなったなぁと思ったりもするだろうけどきっとその程度だ。「アルマーニかぁ、うちの趣味だと○○のほうが良かったなあ」くらいのことを言う人はいるかも。
それに制服目当てで入ってもいないから、(県立高校なんて制服で選んじゃう子が結構いるのに)中の人は外からギャーギャー言ってる人に比べて、当然学校擁護派になるだろう。好きで買ってるんだ。自分の財布と相談して、自分が考えて選択したものを頭から否定されて嬉しいわけがない。

 

ここが実は高価なものやサービスを購入するという行動において、難しい部分だ。
それを購入する、利用する理由は人それぞれだということが一番考えるべき部分なんだけど、マスコミはよく分かってるなぁと思うのは、少なくとも今の日本は、似たようなものを安く手に入れることができるようになったせいもあり、ものやサービスに高額なお金を払う人、それを提供する人に対する風当たりが強く、それの多くは嫉妬なので、煽りやすく、炎上しやすい。

ものの価値(価格)にそもそも相場なんてない、と私個人は考えている。もちろん材料などの原価というものがあるので、最低でも仕入れ値は基準になるだろうけど。人によって、その商品がどうしても欲しいなら、高くてもお金は払うし、欲しくない人は買わない。それだけだと思っている。


これは私が絵描きだから余計に感じるのかも知れないが、私が自分の絵にいくらもらうかも、相場なんてない。「相場はいくら?」って聞かれるのが本当は一番いやだ。依頼内容や今の自分の状況に応じて値段は変えたい。

相場というのは大手が公表してる単価だったりするから、それより高いと文句を言うのがそう言う人であることが多い。私が描くものが欲しいから描いてくれというのでないなら、そっちに頼めばいいじゃないかと思う。こういう人だとお金の交渉がしづらくなるので、安くするのも面倒だし、他の仕事も一緒にしたくない。

お金に対する考え方が合わないのがもっともやりにくい相手なので、逆に自分のマネジメントのもとで働く人にはそこはしっかり話をして理解してもらいたいと思っている。

 

お金に対する個々の考え方は、学校でももっとタブーにせず、まじめに話し合ったり、子供の頃から勉強したらいいのにと思うことでもある。

 

まあ、今回の話の疑問点を言うなら、校長先生のお話が、学校の乱れについての苦言から、アルマーニが関連づけ辛かったことかな。

記事を書く人の考察力も足りないのかもしれないし、ご本人と話をしたわけじゃないから、私の考えも自分の経験に基づく推測でしかないけれど。

今「制服アルマーニ」でググると、有名人から一般人から、私も含めてみんなかなり勝手なことを言ってるので、ある意味情報リテラシーの教材にもなるし、経済学的なお金の話を考えるのにもいい教材かもなぁなんて思う次第。

 

 

 

「基礎体力をつける」ことの大切さ

2020年一人一台端末とか、プログラミング教育だとか、英語だとか、それはもう変革の嵐で学校現場は大変そうです。日々現場で、SNSでたくさんの先生方のご意見や実践を拝見しながら、しかし私はずーっとスッキリしないまま、毎日を過ごしていました。

 

バイスもソフトウェアも、使い方や用途は人それぞれ。日本も、自ら学べ、答えは教えない、自分で考えろみたいな風潮が最近強いですが、しかし、まったくの自己流は必ずしも良いとは言えません。
それがここ数年個人的に実施している、「Excel効率化研修」の人気の秘密でもあります。(地味に大人気です。ご依頼いただけたら行きます。)

自分のICT活用については自分の考えがあるものの、学校のICT活用についての現場や外部からの様々働きかけについては、ずっとモヤモヤしていたのですが、そんな時ふと昨夜見たTVで偶然見かけた、「イタリア人ってみんなおしゃれ。なんで?」という疑問の答えに驚きました。
イタリアでは、中学校は私服になるので、自分たちで服を買いに行くようになるそうです。しかし、洋服屋さんで、勝手に商品を触ったりするのは基本タブー。お店ではお客様一人に店員が一人ついて、着こなしなどをアドバイスするそうです。 なので、イタリア人がおしゃれでなくなるのは、部屋着でくつろぐ時くらいで、外に行くときはコーディネートを考えて服を選べるように、子供の頃になるそうです。なんかうらやましい。

 

人まねでないオリジナリティを尊重することとか、原宿で昔から見かけるような奇抜な服装はそれはそれで文化ですが、お洒落な服装への理解は、お洋服の手入れなどにもつながるので、大事なことだと思っています。高い服を揃えなくても、いい生地を見分けたり、身体に合う服、自分に似合う服を選べるセンスは経済的にも得をします。全身ブランドでもダサいと高価なものに見えなかったりしますし。生地や縫製の良さで高級ブランドを選ぶ方もいますが、いかにも高級ブランドとわかるものは、やはりそのネームバリューにあやかりたい人も多いと思います。

 

前置きが長くなりましたが、今私が直面しているもやもや問題は、ICT支援員のスキルの底上げです。スキルと言ってもICTだけじゃなく、です。
支援員さんたちに雇用元からスマホ(今はガラケー)を支給していただく交渉をしているのですが、私としては自分のパソコンやタブレット持ち込みが難しい学校もあること、情報共有のためのツールを利用するのにスマホがあればストレスが減ることなどが理由なのですが、しかし、その反面、支給したとして支援員さんがすべてそのスマホを本当に使いこなせるか?というと、全く違うのです。操作やアプリを知らないとかではないのです。個人では持ってますからね。ここがいつも言う「ICTの基礎体力」。


例えばLINEで情報共有をしたとしても、いつもいつも答えるのは決まった人で、メンバーがたくさんいるのに、誰もがただ、リーダーに問い合わせるだけで何度教えても学習せず、また同じ質問を繰り返す人が多くて、「もう以前聞いたことなどはボットに返事をさせることはできないか」なんて話があるリーダー役の人から出たくらいです。

ちょっと私的にはがっかりしました。

ここで問題なのは、そのチームはみんな個人で高価なスマホもパソコンももっていて、キャリアも10年超えるようなベテランばかり。現場では愛されていますし、感謝もされています。なのにこれはどういうこと?と言いたいのです。


スマホを持っていても、ググるということを知らない?まさかと思いました。

また、LINEは遡ればトークの履歴が検索できること(これはメールなどでも検索機能がありますから、支援員なら「あるかも?」と気付いてもいいと思います。)を考えない。自分が普段使う、いやLINEは利用者の多さでいったら今や日本では誰もがと言っていいくらい使われているアプリなのですから、深堀しておいて損はないはず。
そして一度聞いた話を保存したり、整理しておかない。せっかく文字で残っているのに。
このあたりはすべて情報リテラシーの部分です。
LINEのトーク履歴はデータの宝庫です。
これは設定からテキスト形式で吐き出すことができるので、私は自分のチームのトーク履歴は時々落として傾向を見たりします。

 

LINEもすっかりメジャーなものですが、最初に書いた、Excelも得意不得意が分かれるツールのひとつです。Excelであれば、天下のMicrosoftが、誰もがやりそうな作業で「めんどくさい」と感じる部分に何も対応しないのだろうか?いや、何かあるんじゃないか?自分が知らないだけでは?と疑いもしないで、ただ、文句を言いながら手作業をしていたり、他人に頼んだり、聞いてばかりいて、負担を強いていたりしてませんか?ということを支援員さんにも問いたいのです。

つまり、BYODにせよ、一人一台買い上げにせよ、学校配備のパソコンルームにせよ、使い方をある程度は教えるべきで、デバイスを自由に選べれば良いわけではないと思うのです。意味のない暗闇の中での試行錯誤による学びは、遭難して、運よく無事生還した後に、なにかを学んだと言ってるのに近いと感じるのです。うっかりすれば死んでしまいます。帰ってこられず遭難したままになるかも。

ICT支援員をお勧めはしていますが、キャリアは関係なく、正直まだ基礎体力がちゃんとある人が多くはないことは、認めざるを得ません。

子供達もデジタルネイティブではありますが同じではないでしょうか?
服の着方と同じで、操作方法は知っている。
でも、肝心なことを知らずに、ただ闇雲に使えばそのうちお互い学び合うなんてことはないと思っています。現に、うちの娘の友達ですら、スマホはほぼ全員持っていても、いつもわからないことをググりもしないで娘にきいてくるので、うんざりして「自分で調べて」と言ったりするそうです。「調べればわかることがたくさんある」ことを、本当に理解しているようには見えないのが多くの「調べ学習」の実態です。

「調べるために、本でも、パソコンでも、人に聞いてもいい」と先生方はおっしゃるそうですが、調べることをするために、本は字が読めなくてはいけません。英語が読めればもっと広がるでしょう。パソコンなら文字が打ち込めないと調べられません。フリックや音声も対応してきましたが、それでも、娘曰く「確実で速いのはタイプすること」。そのためにキーボードからの入力はできたほうが便利なのです。検索をするなら、コンピュータが理解しやすい検索文字列はどんなものかを直感的に理解するために、コンピューターの性質を知っている方がいい。そして、人に聞くならコミュニケーションのための話す力が必要で、その後に集めた情報を整理、保存したり、連携させたりすることも必要です。
「情報を得る」という操作ばかりができて、そのために必要な技能や、得たものをどうしたら欲しい結果に結び付けられて、さらに再利用することで、効率化するのかまでをどこかで明確に教えていかないといけないのではないでしょうか?

学校教育にこれらのことは多分元々あるものなのでは?と思っているのです。なのに、コンピューターが挟まるとどうしてインプットだけになってしまい、その後が今一つなのでしょう。最近では「アウトプットが大事」なんて言ってますが、それがいきなり「プレゼン」するだけで、肝心なインプットからアウトプットへ行く前のところ(どう情報を集めるか、それをどう整理するか、自分の考えに落とし込むかなど)をすっ飛ばしているように見えてしまうのは私がまだまだ学校がわかっていないのかも知れませんが。

 

だらだらと書きましたが、もう一度、「調べる」って何なのか?大人も子供も考えてみたらいいのかも知れないなと思った次第です。

 

 

ホスピタリティとICT支援【その2】

今日は機器の話やソフトの話が終わった後、何か言っておくことはありますか?と上司に聞かれたので、新しい支援員さんたち(含む経験者)に少しだけお話をさせてもらいました。
「すでに支援員研修でも聴いていると思いますが、最後に再確認しておいて欲しいことをお話しします。学校に訪問するということは、たくさんの子供達にも接します。この季節は特にですが当然普段よりも風邪やインフルエンザにかかる確率があがります。もしも朝『ちょっと熱がある』などあきらかな症状がある場合、無理して勤務することは、絶対にしないでください。
これからの季節、小中学校も受験のお子さんは本番間近で、頑張っています。万が一にも、私たちが媒介者になるようなことがないように、まずは健康であること、寒いですが手洗いはこまめに。うがいや歯磨きをきちんとして、体を清潔にすることで風邪やインフルエンザはかかりにくくなります。また、インフルエンザ以外にも、学校には指定された伝染病があります。この機会に自分たちできちんと調べてみてください。その病気の兆候なども理解しておくことで安全に勤務をすることができます。学校のさまざまなことに興味を持ってください。
休む場合はなるべく早く、まず学校に連絡をすること。電車の事故や天候による遅延などの場合も同様ですが、必ずいつ頃到着できそうかの目安なども分かる限り伝えてください。電話ができない場合はメールでもメッセージでも良いので私たちに連絡をください。代わりに連絡をします。
また、学校の周りでの行動にも注意をしてください。運転も道路を歩くのも電車内などでも交通ルールを守って、安全に配慮してください。
皆さんは、今私たちの会社に属し、この自治体の学校で働く人としてみられています。ほかの仲間たちや、サービスの人たち、営業さんたちも、私たちと同じ学校に携わる仲間です。その人たちと同じ企業の名札をつけて働く人として、看板を背負って歩いていることを意識してください。みなさんへの信頼が、ほかの周りの仲間たちの信頼にもつながります。学校の先生や子供達のみならず、地域の方々からも信頼されるメンバーであってほしいと思っています。それではこれからどうぞよろしくお願いします。」
この話を時々機会があるとします。支援員の仕事は不安定だし、時給も安かったり、大変だったりしますが、どんな仕事でも誇りをもってモチベーション高く臨んでほしいと願っているので、ちょっとでもそれを感じてもらえたら嬉しいと思います。
そして、同じ仲間として経験やスキルにかかわらず、全ての学校を支える仲間に敬意を払いたいと思っています。

ホスピタリティは、お辞儀をしたり形だけの通り一遍のマナーや、特別なサービス、万難を排して勤め上げるということでなく、相手のことを思って優先順位を冷静に考え、行動することではないでしょうか。

つづく

参考資料:「学校において予防すべき感染症の解説」

http://www.mext.go.jp/a_menu/kenko/hoken/__icsFiles/afieldfile/2013/05/15/1334054_01.pdf

ホスピタリティとICT支援【その1】

私の仕事は、お初の学校に出かけて、そこで数時間の間お部屋をお借りして研修会を行うというものが多いのですが、支援であっても、研修講師であっても、ひとつだけ、絶対に行っていることがあります。それは、学校を離れる際に、来た時よりも綺麗にして部屋も機械もお返しするということです。(後ろが詰まっているから終わったら片付けもしなくていいから帰ってくださいという時は仕方ないですが…)
私は自社のデモをするのではなく、どちらかというと導入後のお客様の機械を使って、研修をすることがほとんどなのですが、数年経った機器は、少なからず汚れたり傷んだりしています。
また逆に、入れたばかりだと、本来開封して接続が済んでいる方が良いものもそのままになっていたり、使いづらい状態のまま放置されていることも。
その機械が自社の導入であろうと、他社もしくはお客様の自前(学校購入)であろうと、それは関係ありません。
帰るときにはなるべく良い状態でお返しする。
そのために、マイクロファイバーの目の細かいクロス、ハンディモップ用のお掃除シート、ブロワーなどは必ず持っていますし、場合によってはマイクロファイバーのタオルはプレゼントしてくる時もあります。支援員だった時は、機器にナンバリングをしたり、剥がれそうなシールを新しく貼り替えたり、チョークの粉だらけの機械を綺麗にしたりなどもよくしていました。
また、面倒な接続が必要な機器や、出し入れが頻繁な機器は、設置場所を相談して、そこにきれいに設置して、その場所、設定値などの状態を先生に写真を撮っておいていただいたり、出し入れするならビニールテープでばみっておくなどの工夫をお伝えしたり。
こう言ったことができているかどうかで、その学校での活用は実はとても変わったりします。
ICT支援員はSEやCEの知識と授業の知識があればいいと思っている会社も多い気がしますが、それなら、ICTに長けている先生がいらっしゃれば支援員の必要性は感じられなくなります。
本当に後々まで学校の活用促進に貢献する支援というのは、そこだけではないのです。
気持ちよく、長く、安全に使うための工夫と管理。それは1番面倒臭くて、明確に必要な仕事としては誰もやっていないことなのです。

支援員を育成する上で、このようなことをトレーニングしたり、話し合ったりすることがまだまだとても少ないと感じています。

我々のようなものでなくても本当は必要なこの考え方は、会社での教育でも、学校教育でも、そして今の子育てにも足りていない部分な気がしています。

次のブログで、もう少し別の視点からの話をしたいと思います。

[つづく]